STORY 東京海上日動火災保険 vol.16

「働きがい」と「組織運営の要」を学んだ2つの転機

東京海上日動火災保険 執行役員 内部監査部長
橋本 かおるさん

東京海上日動火災保険にこの4月、女性としては3人目となる執行役員が誕生した。入社40年目を迎えた橋本かおるさん(57)だ。高校を卒業後、当時の一般職として入社。自動車保険の事務を長く担当するなかで、32歳のときに第1の転機、44歳で第2の転機を経験した。悩みの壁にぶつかるたびに自ら考え、行動し、壁の向こうの「働きがい」を手繰り寄せてきた。運命の赤い糸も感じたというキャリアの軌跡を振り返る。

空虚な日々を打ち破って「天職」に出合う

ピンクレディーが大ヒット曲を連発した1978年、商業高校を卒業した橋本さんは18歳で東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)に入社した。東京のディーラー(自動車販売店)営業部門に配属され、自動車保険の事務を担当。14年間にわたって契約の計上などの業務をこなす忙しい日々を過ごした。プライベートでは入社1年目に朝の通勤電車のなかで恋文を渡された2歳年上の男性と2年後に結婚。「寿退社」という雰囲気が一般的な時代だったが「社内には結婚して子育てをしながら働いている先輩がいた」と退職を考えることはなく、毎朝、夫と同じ電車に乗って会社に通い続けた。

Hashimoto001_480x290.jpg
入社3年目ごろの橋本かおるさん(右)。東京自動車営業第1部業務課に所属し、契約計上などの事務を担当していた

入社15年目、32歳のときに「アドバイザリースタッフ」(AS)というポストに就くと仕事の内容が一変する。当時のASはルーティン業務を持たず、フリーハンドで部店全体の事務管理や部店メンバーに事務のアドバイスや支援を行う立場。事務全体を効率的・安定的に稼働させることが使命だ。しかしディーラー営業部門に導入されて間もないポストで、上司も周囲も「ASって何するの?」という雰囲気。橋本さんもそれまでの14年間は業務に追われる毎日だったが、ASになってからはルーティン業務がなく、戸惑いが生まれた。「仕事の充実感を得ないで終わる日もあった。3カ月ほどは会社を出るときに『今日は仕事をやりきった!』という充実感がなく悶々(もんもん)とし続けた」という。

「ルーティン業務を持たない経験したことのないポスト。自分から動くしかない」。橋本さんは空虚な状況を打破しようと動き出した。部長と課長にASの役割と活用を説明し、自らの年間行動計画を示して承認を受けた。部店のメンバーにも役割を説明して回った。徐々に周囲から相談される機会が増え、困っていることを解決すると感謝の言葉をかけられる。また東京・名古屋・大阪のディーラー営業部門のAS同士で自主的に集まり、部門固有の課題を議論しては関係部署に提言を行った。事務の課題を見いだし、同僚が仕事をしやすいように変えていく。「なんて面白い仕事だろう」。ASになって半年が過ぎた頃、橋本さんはASを「天職」と思うようになったという。

aHashimoto19_750x480.jpg
東京海上日動火災保険で3人目の女性執行役員となった橋本さんは「与えられた役割をこれまで精一杯頑張ってきただけ。これからは会社の成長に貢献したい」と語った

与えられた役割を果たすために自ら考えて行動する――。ASを5年務め、「働きがい」を知った橋本さんはその後、38歳で全国のディーラー営業部門を統括する部署で主任となり、42歳で東京のディーラー営業部門を束ねる本部の課長代理となって保険営業を支えるための施策を推し進めた。ステージを高めながらディーラー営業部門で事務分野を中心に仕事を続けて四半世紀が過ぎた頃、心の中にこの分野ではやり尽くしたという気持ちが出てきた。「そろそろ違う分野の仕事をしてみたい」との思いを抱き始めた。

志願して出向、「理」よりも「情」の大切さを知る

今後の仕事について悩んでいたちょうどその頃、東京海上グループの人材総合サービス会社、東京海上日動キャリアサービス(TCS)研修部で「JOBリクエスト」の公募をしているという情報を入手した。JOBリクエストは自らが志願して新たな仕事(グループ会社への出向を含む)にチャレンジできる人事制度。橋本さんはその会社で働いている先輩社員から話を聞き、興味があったことから、絶好のタイミングだと感じた。「通勤電車で出会った夫と同じように、これも赤い糸かもしれない」。自らTCSへ出向することを決めた。「決断すると行動するのは早いんです」

aHashimoto31_480x310.jpg
現在の内部監査部でのミーティング。橋本さんのほかに女性社員の監査人2人がこの春に配属された

明確な将来のキャリアビジョンがあったわけではない。ただこれまでの経験が自信の礎になっていた。「行った先で頑張っていれば自ずとやりたい仕事が見えてくるだろう」。TCSでは研修部の部長となり、派遣スタッフの研修やTCS社員の育成を任される。そこで気づいたのは、東京海上本体とは違った企業文化に身を置いたということだった。それが橋本さんのマネジメント力を養うことになる。

出向後まもないある日、橋本さんはTCSの社員に研修の講師をお願いした。講師ができて当たり前との思いで話を持ちかけたところ、その社員は講師をすることに不安を抱き、めげてしまった。その場面を見ていた先輩に諭された。「今までのやり方をそのまま持ち込んでは通用しない。もっと社員の気持ちを考えて発言しなさい」。TCSには他の人材派遣会社からの転職組など様々な背景を持った社員がいる。東京海上本体の社員とは考え方や感じ方も異なる多様な人材と一緒に仕事をするようになり「こんなに違った世界があるのか」と驚いたという。

「どうしたら皆に気持ちよく働いてもらえるか」。橋本さんは管理職として相手の「気持ち」を強く意識するようになった。社員一人ひとりとの対話を重視し、相手の考えや転職してきた理由などを聞きながら、お互いが理解しあうように努めた。「合理的に説明するだけでは人は動かない。『理』よりも『情』を重視するようになった」という。また各社へのスタッフ派遣を通じて、スタッフが定着しづらい部署では組織内の対話が十分ではないといった課題も見出した。TCSの研修部に5年。組織運営の要ともいえるコミュニケーションの重要性を学び、人を育てる貴重な経験を積んだ。

aHashimoto42_750x450.jpg
TCSに出向したときは周囲とのコミュニケーションを意識し、徐々に社員とのつながりを広げていった

支店での危機、3分間の沈黙と奮起

東京海上日動に戻り、内部監査部などを経て54歳のときに愛知北支店長に就いた。代理店を通じて企業や個人に保険商品を販売するパーソナル営業部門の支店長だ。ディーラー営業部門が長かった橋本さんにとって初めての部門。その支店長に任命されたときはさすがに不安があったという。しかし当時の永野毅社長(現会長)から「今の橋本さんのスタイルのままで支店マネジメントをしてほしい」と言われ、決心がついた。「肩肘張らずに自然体で頑張ればいい。結果は会社が受け止めてくれる」

支店長2年目のことだ。大口の取引先が更新を打ち切るという事態が発生した。危機が判明してから担当役員や多くの関係者のサポートを受けながら奔走したが、結果として契約は落ちてしまった。橋本さんは緊急事態に対し支店メンバー全員に集まってもらい、約100人を前に状況説明と営業の挽回を訴えることにした。ところが説明中、それまで懸命にサポートしてくれた役員や社員の姿が脳裏に浮かび、涙があふれてきた。「これはいけない」と皆に背を向け、気を落ち着かせようとした。およそ3分。会場は静まり返ったまま、支店メンバーは支店長が話を再開するのを見守った。

aHashimoto21_480x300.jpg
愛知北支店長のときは社員に助けられたと話す橋本さん。言葉を一瞬詰まらせ、目には涙が浮かんだ

深呼吸をし、心を整え、ようやく支店のメンバーにこう訴えた。「なんとか年度末までに挽回したいので皆さんの力を貸してください」。心強かったのは多くの社員が「私たち、頑張りますから」と声をかけ、励ましてくれたことだ。その後の支店メンバーは「ピンチをチャンスに」という合言葉で一丸となる。新規顧客を増やす営業活動など社員の奮闘に橋本さんは助けられたという。「愛知北支店の社員一人ひとりの顔を思い出すと、今でも抱きしめたくなる」とインタビュー中も当時のことを思い出して言葉を詰まらせた。

この4月に執行役員・内部監査部長となり、自らの責任はさらに大きくなった。「プレッシャーは当然あるが、今までどおり肩肘張らずに自然体で、向上心を失わずに臨んでいきたい」と気負いはない。東京海上日動は「期待する」「鍛える」「活躍の機会と場を与える」の「3つのK」を人材育成の軸として実践している。橋本さんも与えられた役割を果たそうと精一杯頑張りながら歩んできた。

若い頃は心配性で、悩みを引きずることも多かったという。自然体で気負わない性格はこれまでのキャリアを通じて積み上げた自信と同時に、オンとオフの切り替えや気持ちの割り切り方が上手な夫に感化された影響が大きいと分析する。夫との出会いやTCS出向を「運命の赤い糸」と感謝しつつ、それを自らの成長に結びつけてきた。そして今、執行役員という新たな重責を担う。「これからは自分に足りない部分、思考する力を高めて、会社の変革と成長に貢献したい」と考えている。

会員登録すると、イベントや交流会への参加、メールマガジン購読などご利用いただけます。