日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。 日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。

開発者と母、切り替えるスイッチ――それぞれに全力投球

学生のころから「子供を産んでも仕事は続けよう」と決めていた

 「頑張ったかいがありました」。今年(2015年)1月に米ラスベガスで開かれた世界最大の家電見本市「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」の会場で、オムロン技術・知財本部技術開発センタ主査の長谷川友紀さんは安堵の笑顔を浮かべていた。産業用の三次元計測技術を応用した人体の形状測定システムを出展したところ、予想以上に高い評価を得ることができたからだ。

 部屋状の装置の中央に立った人に近赤外線を照射し、カメラで撮影した画像を解析することで体型を復元・表示することができる。その間、わずか10秒程度。精度の高さと測定スピードに対してブースに訪れた医療関係者やヘルスケア企業の担当者は一様に興味を示し、質問を投げかけてくる。展示会終了後もインターネット上で「ダイエットや健康管理に効果的」と話題は広がった。「これまでの産業用途の開発では聞けなかった市場の反応を、じかに感じることができたのは貴重な経験」と、長谷川さんは振り返る。

 オムロン子会社のオムロンヘルスケアから、三次元測定技術の開発リーダーを務める長谷川さんにCES出展の話が持ち込まれたのは昨年の夏。「わずか5カ月で一から仕上げるのは難しい」と思ったが、もともと人々の健康に関わる技術開発をしたいと思っていた長谷川さんはチャレンジを決意する。やりがいのある仕事だが、一つ気がかりだったのは家で留守番をしている小学5年生の息子のことだ。勤務先の京阪奈イノベーションセンタ(京都府木津川市)を出るのが午後10時近くになる日もあった。文句を言う子ではないが、「寂しい思いをさせているのだろうな」と申し訳なく思う毎日だった。

■時には厳しく指導、部下の成長がやりがいに

 大学で画像圧縮技術の研究をしていた長谷川さんは1997年にオムロンに入社。2003年に結婚・妊娠した。育児休暇を取得して職場に戻ろうと考えたが、復帰の経験のある女性社員は職場にいなかった。仕事でも文字認識技術の研究でリーダー役を任された時期だった。「職場のみんなは休むことを認めてくれるだろうか」。不安を抱えて上司に報告したが、周囲は驚くこともなく受け入れてくれた。ちょうどオムロンが社内保育所を整備するなど、女性が働きやすい環境整備に乗り出していた時期でもあったからだろう。上司や部下は快く仕事の引き継ぎに協力してくれて、安心して出産を迎えることができた。

 入社したときから、子供ができても仕事は続けようと決めていた。学生時代に他界した母がいつも「私も仕事を続けたかったけれど、そんな環境じゃなかった。あなたは子供ができても続けなさい」と話していたからだ。振り返れば、子供のころから両親には「女の子だから」という理由で何かを求められることはなかった。父親には「半田ごてくらい使えないと」と言われ、自然と自分の手でつくったり、操ったりすることが好きになった。大学は理系に進学。趣味はマニュアル車の運転だった。そしてオムロンの技術者になり、自分の手でつくり出す楽しさと喜びが「人の役に立つ」というやりがいにつながる。会社をやめるという選択肢などなかったのだ。「専業主婦になって後悔する母親を、子供も見たくないはずだ」

 復帰当初、子供の保育園は午後8時まであずかってくれたため、午後7時過ぎに会社を出る生活になった。子供を保育園に送り届け、職場に着けばお迎えの時間まで仕事に全力投球した。子育てが仕事の障害と思われたくはないという気持ちもあった。転園後の保育園や小学校の学童保育は午後7時までで、何とかやりくりして6時半には仕事を終える生活を続けた。

米ラスベガスで1月に開催されたCESには、わずか5カ月で開発した体型測定装置を出展した

 子供にも部下にも「もっとやってあげたい」という思いはいつも残る。それでも「引きずらないで、できることをやると割り切っている」。午後6時半に技術者と母親のスイッチを切り替えるから、「それぞれのストレスをためずに自分らしく振舞える」のだという。

 仕事ではチームリーダーとしての役割を担っているが、最初から進んで引き受けたわけではない。「マネジメントは無理。自分で開発する方が性に合っている」と逃げていた。ただもう一度、自分自身を振り返り、「リーダーでなければできない仕事がある」と考え方を変えて、やってみることにした。すると人を育て、チームで結果を追い求める楽しさが見えたという。自分で可能性を閉ざさず、挑むことで人は成長する。そのことを部下に伝えるために日々励まし、時には厳しく接することもある。部下が成長する瞬間を感じることができるのが、リーダーの醍醐味だ。

 CESでも、部下の成長を感じた一幕があった。専門知識が豊富な技術者というのは、顧客に事業や開発内容を分かりやすく説明するのが苦手な場合が多い。しかし米国に同行した部下はブースに訪れた人たちに丁寧に内容を説明。「帰国後の社内でのプレゼンでも、自分の言葉でうまく説明していたんですよ」。そう話す長谷川さんの表情は「お母さん」のようだった。

■食卓に飾った母の日の「ありがとう」

「部下の成長を後押しできるリーダーとして、自分も成長していきたい」

 子供は野球に夢中で、地元の少年チームの4番でエース候補だ。「今はまだそんなに活躍できているわけではないけれど、今後が楽しみ」と長谷川さん。休みの日に野球に打ち込む息子の姿を、お母さん仲間とおしゃべりしながら見守るのが楽しみの一つになった。

 昨年の「母の日」にくれたメッセージカードは大切な宝物だ。「野球の準備をしてくれてありがとう。いつもご飯をつくってくれてありがとう」などと書いてあった。「彼なりに、私に対する感謝の気持ちを考えてくれたのがうれしかった」。学童も昨春で終わり、夫も帰りが遅い日は一人で留守番をしてくれている。お腹がすけば自分で何かつくって食べている。そばにいてほしいときにいない母親かもしれないが、子供は確実にたくましく育っている。「人には色々な考え方や選択肢があることを理解し、尊重できる人になってほしい」。家族が集まる食卓に飾られた母の日のカードは、母から開発者へとスイッチを切り替える長谷川さんを励ましている。

 オムロンでいち早く、開発部門で育児休暇からの復帰を経験した長谷川さん。これからは出産・育児を経て復帰するのは当たり前の時代になる。長谷川さんは「良い手本かどうかは分からないけれど、後輩に長谷川でもできたのだからと思ってもらえればいい」と話していた。

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