日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。 日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。

育児があったから強くなれた――上司や同僚と磨いた自己管理術

中村雅子さんは2度の産育休をキャリアアップのバネにした

 「このままじゃ仕事を続けられない」。“事件”の対応でくたくたになって乗り込んだJRの車内。揺れる窓越しに生まれ育った地元の景色を眺めながら、東京海上日動火災保険の中村雅子さん(37)は言いようのない不安感に包まれていた。

 地元での就職を希望して、大学卒業後は実家のある千葉県銚子市に戻り、転居を伴う異動がない地域型社員として入社。結婚当初から、子育てを考え、0歳児から預けられる保育園の近くに新居を構えた。育休からの復職後は午後4時に終業する短時間勤務を選び、実家の両親もサポートしてくれたが、現実は想像以上に厳しかった。

■厳しかった現実

 通勤電車に乗った途端に「お子さんが熱を出しました」と保育園からお迎え要請の連絡が来る。あわてて保育園に戻り、出勤を午後からに遅らさざるを得なかった。夕方のお迎え時間に保険代理店からの問い合わせ対応で動けなくなることもしばしば。同僚は「帰っても大丈夫だよ」と声をかけ、仕事を積極的に引き受けてくれた。ただ、中村さんは「自分の都合ばかり言っていいのか」という思いから徐々に言い出しにくくなった。プラント機器の関連企業に勤める夫は協力的だが、取引先を回る長期出張で不在になりがちだった。

 そんな中で“事件”は起きた。母親の焦りと不安が伝わるのか、長女が朝になると嘔吐(おうと)や発熱を繰り返すように。入念な準備をして保険に関する勉強会を開く予定だった日の朝は、いつも以上に症状が悪かった。出勤できる状況ではない。上司に勉強会を引き受けてもらって事なきを得たが、早朝からの急な依頼で当日の仕事にも影響を受けた上司が困惑していないはずはなかった。得意先への謝罪の気持ちも込み上げた。責任感から涙があふれた。

事務担当から営業担当に変わり、銚子支社で生保の営業リーダーに

 しかし、仕事と子育ての両立を諦めなかった経験が、中村さんを強くした。改めて上司や同僚と話し合い、少しずつプライベートなことも話すようにした。子どもの体調が悪い時や夫が出張で不在の時、いつものような勤務は難しくなるかもしれない。自分の仕事の進め方を工夫し、他のメンバーのスケジュールも考えて仕事を頼むことなどを確認し合った。さらに子どもの急な発熱など緊急事態に何を、どう、誰に頼むかなどセルフマネジメントをしっかりとするようになった。2009年5月、実家近くの銚子支社に異動したこともあり、育児との両立がうまくいくようになった。自分と夫のスケジュールを見て、早めに両親やママ友に子どもの預かりをお願いしておく。週末もスマートフォンで職場全体のスケジュールを予習し、忙しくなったときの対応を常に考えた。

 手帳を使った中村さん流の仕事管理法も編み出した。日々の業務やスケジュールは、消せるボールペンで書き込んでおき、終わった案件や成功した業務は消していく。手帳に残るのは、「仕掛かり中の案件」や「課題を残した仕事」だけ。もちろん必要な業務管理や業務報告は会社のパソコンでこなすため、小さな手帳は「自分に足りないことを確認し、次の仕事で失敗しない」ための教訓集になった。

 次女の出産を経て、短時間勤務を終了し、新たな働き方にチャレンジしていた11年秋、事務担当から営業担当への転身を打診された。社内業務を効率化し、新たに創出した時間で女性社員を営業第一線でも活躍できるようにする会社全体の「役割変革」と呼ぶ流れを、中村さんは前向きに捉えた。「子どもが幼いうちにも活躍のチャンスはある。娘たちに母親が全力で頑張っている姿を伝えたい」。生まれ故郷である銚子の顧客に役立ちたい思いも募り、営業の前線に立つ決意を固めた。

■熱い指導の「イクボス」と出会う

 情熱的な上司との出会いも、キャリアアップへの意識を高める機会になった。13年7月、銚子支社長に着任した灰谷充史さん(43)だ。直前の3年間はインドに設立された合弁企業に赴任し、インド南部の営業拠点に駐在。帰任した灰谷さんは「最近は女性社員がこんなに頑張っているのか」と大きな刺激を受けた。

銚子支社は勉強会などを通じ、職場の一体感を生み出している

 「子育てと仕事の両立に悩む同僚を何人も見てきた」という灰谷さんだが、決して甘やかすことはしない。育児中の部下には限られた時間で仕事の質を高めてもらい、支社全体で仕事の結果を追求する「イクボス」なのだ。東京海上日動では、永野毅社長(62)が女性社員の活躍できる環境づくりとして「期待する」「鍛える」「活躍する機会と場を与える」という“3つのK”をキーワードに掲げている。さらに灰谷さんは「『支える』『任せる』という現場の工夫を凝らしていきたい」と話す。

 「支える」取り組みの一つが「灰谷道場」。2カ月に1度のペースで開く銚子支社の勉強会だ。銚子支社は保険代理店をはじめ、地元の代表的な企業である醤油メーカーや金融機関を顧客に持つ。そうした顧客のニーズに応えられるよう、夕方5時から1時間程度、提案書のつくり方や保険代理店とのコミュニケーション術など、灰谷さんがこれまでの経験に基づいて丁寧に伝える。「銚子支社で働けば成長できると言われるようにしたい」。イクボスの思いは熱い。

 中村さんには多くの保険代理店を「任せて」、損害保険とともにグループの生命保険も提案営業できるようにし、顧客や代理店から厚い信頼を寄せられるようになった。灰谷さんは、「次代を担うリーダーになってくれれば」と期待する。周囲の期待に対して、中村さんは「信念やしなやかさを持った女性管理職が求められるなら、チャレンジしていいかもしれない」と考えるようになった。その前向きな姿は灰谷さんや同僚、そして夫や子どもたちに見守られている。

産育休の段階に合わせて復職支援

 東京海上日動は全社員1万7000人強の約半数を占める女性社員の活躍を支援するため、産育休の段階に合わせた復職支援制度を整えてきた。一般的な復職時のハードルとして、産育休の間に業務や情報システムが変わり、仕事についていけなくなる「情報格差」がある。同社は、職場の上司と産休前から復職後まで複数回の面談機会を提供。休業中にパソコンなどで社内情報の一部を閲覧できる仕組みもある。産育休の前や取得中の女性社員が集まる「産休・育休セミナー(すくすく会)」で子育てや職場復帰のコツを共有。短時間勤務者向けのセミナー(カンガルー会)には上司も一緒に参加して、理解を深める。子育てをキャリアアップのバネにできるよう、「イクボス」の育成にも目を配る。様々な取り組みの結果、2013年度で同社の育児休業取得者は603人と5年前の2.5倍強、短時間勤務者は551人と同3.4倍に広がった。
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