日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。 日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。

日本で世界標準の英語力を――教材開発に妥協無し

太田さんは特別な英語教育を受けた経験もなく、英語教育の世界に入った

 ECCには英語教材や指導法を開発する総合教育研究所がある。会社の競争力を左右する研究所の所長を務める太田敦子さんは、意外にも海外での生活も留学経験もない「一般的な日本人の英語学習者」だ。英語は好きで大学でも英語を専攻したが、英会話の世界に興味はなかった。卒業後に就職した出版社を辞めて、仕事を探しているときにたまたま知人の紹介で出会ったのがECCだった。

 1987年の入社当時はまだパート社員で、大阪本社で事務作業をしていた。ある日、たまたま手にとって開いてみた小学生向けの教材の内容に釘付けになる。例文の暗記暗唱が基本の中身の濃い教材の第一印象は「英語の筋トレ」。しかし子どもを英語嫌いにはさせない指導法もきめ細かく決められていた。「こうすれば過度な負荷をかけないで、日常で英語に触れる機会がない日本でも英語を習得させることができるのか」。学校での授業しか知らない太田さんには目からうろこだった。

 「ホームティーチャーの研修をやってみないか」。入社して2年後に結婚して横浜のオフィスに赴くと、上司からこう声をかけられた。ECCのジュニアコースは1万人以上のホームティーチャーとフランチャイズ契約を結び、全国展開している。新しくホームティーチャーを目指す人材にECCの教育理念から教材の使い方までを説明する研修スタッフの育成が必要な時期で、大学で英語を専攻していた太田さんに声がかかったのだ。英語教育に引かれていた太田さんには「天職に思えた」。

 横浜から大阪に戻った後も、研修スタッフとして飛び回る毎日を送った。自分なりに工夫した研修方法が板についてきたころ、今度は高校生を対象にした教材開発担当に抜てき。これも太田さんは戸惑うことなく「これまたうれしい仕事。二つ返事で引き受けた」。高校生向けの教材を作り終わると、続けて「レディースコース」「シニアコース」の立ち上げにも関わる。アルファベットも知らないお年寄りが、一生懸命宿題をこなして教室に通う姿を見て、「どんな方にも英語を身に付けてもらいたい」という思いを強くした。

■「大人の既成概念は子どもが簡単に崩す」

研究所スタッフとは遠慮なく本音をぶつけ合い、理解を深める

 ECCジュニア教育研究所に所属し、本格的に教材や指導法を研究開発する道を進み始めたのは97年のこと。研究所での日々は、毎日が真剣勝負だった。

 「これでは駄目だ」「勉強不足よ」――。改訂のたたき台を提出すると、スタッフから容赦ない批判にさらされる。決して意地悪をしているわけではない。「遠まわしの言い方では伝わらない。限られた時間で徹底して議論し、全員が納得した内容でなければ全国1万人の先生方の賛同なんて得られない」という思いがある。

 研究所スタッフの共通の目標は「子どもたちに世界標準の英語力を身に付けてもらう」こと。日常生活で英語に触れる機会の少ない日本でそれを実現するには、子どものころから英語への接触量を増やすしかない。そのためには従来の常識にとらわれず、教える量も内容の水準も引き上げ、ECC伝統の指導法の改革にも挑む必要があった。方向性を間違えれば、子どもたちが英語を嫌いになってしまうかもしれない。だから慎重に議論を尽くす。精神的なタフさが求められる仕事だが、次第に「改革には痛みも混乱もつきもの」と言えるほど強くなった。

 議論を尽くして作り直した教材や指導法は実際に導入する前に、大阪本社のパイロット教室に導入し効果や課題を検証する。太田さんも教壇に立ち、子どもたちの反応を肌で感じるようにした。従来よりも内容の濃い授業に「子どもたちは拒絶するのではないか」と、最初は不安だったが、「大人が抱く既成概念は子どもが簡単に崩していく」。どんなに小さな子どもでも、英語をもっと理解したいと感じれば、どんどん吸収していくのだ。そんな姿が、改革に挑む太田さんら研究所スタッフを励ましてくれた。

 しかし大幅な改定は、一人で子どもたちと向き合うホームティーチャーの負担と不安を増やす。05年の改定の際には、あるホームティーチャーから連絡があった。「太田さん、これじゃあ詰め込みでしょ。何を考えているの」。ECCジュニアが始まったときから25年間、ECC一筋で歩んできてくれた先生だった。太田さんにとってメンターともいうべき存在である。

 太田さんはすぐに、このホームティーチャーの元へと向かった。そして改定が世界標準の英語力を身に付けさせるための挑戦であること、議論と検証を重ね決断したことなどを、心を込めて説明した。「先生、まず1年続けてみてください」。

 そして間もなく電話が入る。「太田さん、私が子どもたちを見くびっていました」。心配をよそに、子どもたちは大幅に増えた宿題もこなし、授業に集中しているのだという。全国のホームティーチャーからも多くの改善要望などが寄せられたが、太田さんは議論する中で「様々な考え方はあるが、世界標準の英語力を子どもたちに身に付けてもらいたいという思いは一つ」と確信していった。

■「英語に対する憂鬱から解き放ちたい」

「子どもの成長を喜びと感じるホームティーチャーに支えられている」と太田さん

 小学校高学年で英語が必修化となった11年からは3年がかりの大改革に挑んだ。「高校卒業までに英語圏の大学で学べる英語力」などを目標に掲げ、小学生から文法学習なども取り入れた。賭けだった。「とにかく子どもたちに寄り添ってくれるホームティーチャーを全力でバックアップしなくては」と、授業のひな型となる「ティーチャーズブック」の内容充実などに心血を注いだ。

 「毎日毎日ECCだったらいいのにな」――。数年前、あるイベントに参加していた幼い女の子が先生にこう話しかけているのを聞いた。太田さんはこんな場面を見るたびに「ホームティーチャーに支えられ、一歩一歩前に進めている」と実感する。

 太田さんにとっての最終目標は、「日本人を英語に対する憂鬱から解き放つこと」だ。なぜ日本人はネーティブ英語に自分を合わせようとするのか。なぜアジアの国々の人たちのように、自分なりの英語を堂々と使えないのだろうか――。自身が学校での授業しか受けてこなかった「一般的な英語学習者」だけに、なおさら強く感じて英語教育の世界を生きてきたのだろう。

 「日本に居ながら英語を身に付けグローバル社会で活躍できる、そんな日本人としての矜持(きょうじ)を持った人々を育てたい」と、取材の最後に太田さんは話してくれた。「矜持」という言葉に「日本人と英語」を見つめ続けてきた太田さんの強い思いが込められているように感じた。

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