日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。 日経ウーマノミクスプロジェクト 組織に新たな風を吹き込む女性たち。しなやかな働き方に輝く社会へのヒントが詰まっている。

「悔しさ」から見つけた本当の使命――中国で技術開発者の育成に奔走

「中国人技術者はとにかく学びたいという意識が強い」と松岡さんは感じている

 「私にもっとスキルと自信があれば説得できたはずだ」。オムロンの松岡美希さん(37)はリーマン・ショックで世界経済が危機を迎えていた2009年、失望感に包まれていた。それまで携わってきた開発案件が、事業化は難しいと会社に判断されたのだ。

 どの会社も先が見通せず「選択と集中」を進めざるを得ない時期だったから、仕方ないのかもしれない。しかし松岡さんは自分を責めた。社会の安全安心のために必要だと信じて開発を進めてきたのに、「環境の変化を予測し戦略を立てるスキルも、周囲を納得させる自信もなかった」と。

 その後も技術者として、いくつかの開発に携わった。ただ、あの時の思いは消えることはなかった。私は何のために技術者になったのか。世の中に役立つ製品をつくるためではなかったのか。松岡さんは同僚などと話をするうちに、商品をつくりたいという思いは強いが、なかなか商品化に結びつかず、自分と同じように悶々としながら開発している技術開発者が多いことに気づいた。なぜ商品化できないのか。何が足りないのか。日々考え続けた。技術力、事業戦略構築力、周りを巻き込む力、行動力……。そして松岡さんの胸に、ある決意が芽生える。「スキルと自信を持って社会の課題を解決できる商品をつくり出す。そんな技術開発者を育成することが私のミッション」。粘り強く、確信をもって社内で訴え続けた。そして2012年、ものづくりの人材育成部門であるグローバルプロセス革新本部への異動が決まる。チャンスが訪れた。

■言葉の壁など物ともせず、やると決めたらすぐに行動

 オムロンにとって海外拠点での開発機能強化は重要課題の一つだった。松岡さんは世界中の開発拠点の状況を調べ、中国で人材育成を進めることを決める。中国は成長著しい巨大市場。上海、大連、広州の拠点で多くの技術者を抱える。しかし商品を企画し一から設計できる人材はごく一部だった。中国では新人から徐々に技術を継承する日本の階段式育成の仕方はなじまない。そして「管理職を育てるプログラムはあったが、中国の実情に合わせた技術開発者の研修プログラムがなかった」のだ。

 2020年を目標とした会社の長期戦略を見据えても、「まずは最重要拠点である中国社会の課題を解決する商品を、中国人が企画し開発する仕組みをつくらないといけない」。松岡さんは目的が定まるとすぐに中国へ向かった。中国語が堪能なわけではない。中国での開発経験や研修プログラムをつくった経験もない。不安はあるが、そんなことは二の次だった。「人財育成は早いほどいい。目的が明確なのになぜすぐやらないの」。直属の中国人上司の言葉が力強く背中を押した。

中国の拠点など関係部署との交流を密にして、わずか3カ月で研修プログラムを確立した

 何度も中国の拠点を回り、片言の中国語で現地スタッフと交流を深めた。日本の開発者に比べれば、確かに経験値は浅い。ただ大きな可能性も感じた。「何事にもスピーディー。もっと学びたいという強い気持ちを感じた」。経験を積み、気づきを与えれば必ず開花する。そこで松岡さんは基礎研修だけでなく、企画から設計まで一連のやりとりを体感できる長期研修プログラムを構築することを決める。自分たちでできないことは社内のあらゆる部署に協力を求めた。結果的にOB技術者なども知恵を貸してくれた。プログラムが完成したのは、わずか3カ月後のことだ。

 プログラム運用開始当初、松岡さんが「この商品の仕様を企画してください」とテーマを提示すると、中国人技術者からは「条件を明確に示して」「事例をください」といった質問が殺到した。今まで日本からの細かな指示に従って仕事をしてきたわけだから無理もなかった。松岡さんは「自分たちで考えてみて」と気持ちをほぐしていく。すると、すぐに技術者の目が輝き始めた。「松岡さんのやり方では中国では売れないよ」「このつくり方なら価格は抑えられる」。日本人技術者では考えつかない発想が、どんどん寄せられるようになった。時には「失敗」を経験させるのも松岡さんのアイデアだ。「本当にこのねじ位置でいいの」。自信を持って設計図を持ってきた技術者を突き放し、工場で生産担当者と話し合って解決するよう指示することもある。

 運用から1年余り。延べ100人以上が松岡さんの企画したプログラムを履修した。中国で企画した商品が中国市場に供給されるケースがさらに増えていくだろうと確信している。中国での経験は松岡さんの意識も変えた。「技術者時代なら1年かけていたことが、今なら3カ月でやれる自信がある」。松岡さんは自分の成長を確かめるように話した。

■スキルと自信に満ちた技術開発者を世界に

中国で確立した研修制度の良い部分は今後、日本を含めグローバルに活用していくという

 高校時代、ホームステイ先の米国で見たベンチャー企業の3D(三次元)画像技術に感動したのが技術者としての道を歩むきっかけだった。開発に没頭していた大学院時代、オムロンが3Dを顔認識に活用して徘徊(はいかい)する高齢者を見守るシステムの開発に取り組んでいることを知る。当時、3Dはデザインのための技術だった。「私のやってきたことがデザインの世界だけでなく、社会の課題解決に役立つんだ」。すぐにオムロンへの入社を決断。「世の中のために」という企業理念を意気に感じて、技術者として生きてきた。

 リーマン・ショックを機にモノづくりではなく、人づくりに使命を見いだした松岡さん。「もう技術者に戻るつもりはない」という。中国の経験で成長した松岡さんなら技術者としてもさらに活躍できるだろう。しかし「私一人の力なんて小さいもの。世界中のオムロングループの仲間が力を発揮できる環境をつくることのほうが社会に貢献できる」。

 今では中国で研修プログラムの第2弾に取り掛かっている。既存の商品の開発だけでなく、新しいコンセプトの商品やサービスを生み出せるイノベーターを育成するのだという。「中国以外の国でも、地域特性にあったプログラムをつくりたい。日本でも若い世代の力を引き出す仕組みが必要になる」。スキルと自信に満ちあふれた技術者が世界中で活躍する日は、そう遠くないのかもしれない。

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