STORY 東京海上日動火災保険 vol.18

チームに力を生み出す、新たな地で発揮したキャプテンシー

東京海上日動火災保険 盛岡損害サービス課
冨田 典子さん

組織にはメンバーをけん引するリーダー役とともに、潤滑油となるキャプテンのような存在も大切になる。東京海上日動火災保険の冨田典子さん(33)は今の職場、東北損害サービス部盛岡損害サービス課でまさに組織の潤滑油となり、チームに力を生み出してきた。人員不足のため他のエリアから社員を求めた同課への異動を志願し、横浜市から盛岡市に赴任したのは2016年4月。率先して組織のコミュニケーションを促し、チームにやる気と結束力を醸成してきた。メンバーの信望が厚く、上からも下からも頼りにされる存在だ。

「お役に立ちたい」制度に手を挙げ、エリア外へ赴任

「新しい土地で次のステージに挑戦しよう」。冨田さんは入社9年目、31歳の時にそう決意した。入社以来、神奈川県の平塚と横浜で自動車事故を扱う損害サービスを担当。「そろそろ次の異動のタイミングかな」と思っていたころ、社内の「短期JOBリクエスト制度(お役に立ちたい)」で損害サービス社員を全国の数カ所の部署が公募しているのを知った。「生まれ育った地域を離れ、知らない土地で働くことで多くを学べるのではないか」。そんな考えが心に浮かんだ。

Tomita10_680x440.JPG
冨田典子さんは首都圏のエリアコース社員だが、「お役に立ちたい」制度を活用して岩手県に転勤した

冨田さんは転居を伴う転勤がないエリアコースの社員。慣れ親しんだ首都圏内の異動で働き続ける選択肢もある。だが「今、手を挙げないともう他の地方に行くチャンスはないかもしれない」と思い、さらに当時の上司から「(公募先の一つ)盛岡損害サービス課で自らの経験を生かすことは、必ず今後の会社生活でプラスになる」と背中を押された。上司は少し前まで盛岡に勤務しており、地域や組織の事情を説明してくれた。

盛岡損害サービス課はエリアコース社員の退職や産休で欠員が生じていたうえ、入社年次の若い社員が多かった。同課の栄孝宏課長は「当時は人員不足で業務を回すのに精一杯。若い社員を先輩社員が育てる余裕もない状態だった」と振り返る。若手社員の育成が最大の課題と知った冨田さんは「これまでの自分の経験を生かせるのではないか。一緒に働くメンバーと、いいチームをつくるのに貢献したい」。以前から抱いていた仕事への思いが、盛岡行きを志願する決め手となった。

メンバーがつながる力を実感

Tomita21_680x430.jpg
冨田さんは自動車事故に遭った顧客や相手先と電話で応対し、示談解決に向けて話し合いを進めていく

「このチームで働けて本当によかった」。こんな感慨を抱いた職場経験が冨田さんにはあった。入社4年目、最初に配属された神奈川損害サービス部平塚損害サービス課での最後の1年間だ。業務内容は自動車事故に遭った顧客や相手先と電話で応対し、交渉・示談などをして解決に導くこと。基本は電話を使って一人で応対するため、壁にぶつかることも多い。しかしこの1年間は悩んだときに手を差し伸べてくれる先輩や同僚が必ずいた。いつも自分ひとりではなく、メンバーに助けられた。チームの力で解決できると実感することが多々あったという。

「恵まれた環境」と感じたチームについて、冨田さんは当時の課長による雰囲気づくりが大きかったとみている。課長は組織全体の動きを見ながら、メンバー一人ひとりの小さな努力までをすべて見ていた。「今回の交渉はよかったですね」など、その都度、メンバーの承認欲求を満たす声がけをし、さらに全メンバーにメールを発信してその情報を共有する。冨田さんは「認められることでモチベーションにつながった。さらに組織の中の見えなかったことが見えるようになった。先輩がこんなに頑張っているのか、私も次は頑張ろうと思えるようになった」という。

Tomita26_680x420.jpg
仕事仲間とは積極的にコミュニケーションを取るようにしている

自然とメンバー同士が声をかけ合い、助け合う機会が増えていた。外部との交渉でつらいことがあっても、「今の電話のやりとり、たいへんだったけど大丈夫?」と先輩たちは温かい言葉をかけてくれた。組織に笑いが増え、チームの結束が強まった。コミュニケーションが仲間との信頼関係を強化し、チーム全体が強くなる。組織の充実ぶりを目の当たりにした冨田さんは「助けられた分、私も年次が上がったら周囲の力になりたい。自分が周りに提供できるものは惜しみなく出そう。こんなチームになれるように私も貢献したい」と心に刻んだ。

新人教育で学んだコミュニケーション術

それから2年後の入社6年目、もうひとつの貴重な経験を積んだ。新入社員の教育係だ。担当したのは優秀な新入社員だった。ところがある日、上司に呼ばれてこんな事実を打ち明けられた。「君が担当する新人が研修の懇談会で、仕事のことで悩んでいると同期に話していたらしい」。衝撃だった。新人にはいつも「大丈夫?」と意識して声をかけてきた。「はい、大丈夫です」と答えていたので、まさか悩んでいるとは思っていなかった。「甘かった。教育係の私には言いにくい悩みもあるだろう。本音を引き出さないといけない」と反省した。

Tomita27_680x440.jpg
「信頼関係を築かなければ、相手から本音は引き出せない」

それからは聞き方や伝え方も工夫した。食事に誘って自分が新人のときにつらかった経験や失敗談を話したり、周囲の人にその新人について気づいたことを尋ねたり。半年近くたったころ、新入社員が「今、こんなことを言われて悲しいです」と自然と打ち明けてくれるようになった。「コミュニケーションもカタチだけでは駄目。相手の立場になってお互いが話しやすい雰囲気をつくらなければ、本当の信頼関係は築けない」と学んだ。

後輩を指導することは充実感があった。学生から社会人になったばかりの新入社員が1年後には立派に仕事ができるようになる姿を見るのは素直にうれしく、そこに少しでも携われることに喜びを感じた。また教育係を担当したことで、教育係に対する周囲のサポートの必要性も実感した。「新入社員は皆で育てるんだ」という意識を持つようにするとともに、後輩が教育係になったときには「困っていることはないか」などと積極的に声をかけるようにした。

後輩から目標にされる存在に

16年に盛岡に着任した冨田さんが現場で実践しているのは、神奈川時代のチームワークの力と新人教育の経験を生かした積極的なコミュニケーションだ。短期JOBリクエスト制度で外部から赴任している立場だからこそ、「まずは自分から心を開くことを意識した」。課のメンバーに積極的に歩み寄って声をかけ、同じ業務担当の後輩6人には相談しやすい雰囲気をつくるようにした。相談されたことについては絶対に見捨てず、折に触れて話をして「あなたのことをちゃんと見ているよ」というメッセージを伝えるようにした。

Tomita32_680x420.jpg
後輩には折りに触れて声をかけ、相談しやすい雰囲気をつくるようにしている

受け入れ側の盛岡損害サービス課では当初、「横浜からどんな人が来るのだろう。うまくやっていけるかな」という不安が大きかったという。だが冨田さんはすぐに組織に溶け込み、頼られる存在になった。「年次の下の社員の面倒をすごく見てくれる。自分が前に出るのではなく、皆にきめ細かく声をかけて気遣う。メンバー間で問題が起きたら自らが声をかけて、解決する。組織もいい雰囲気になり、若い社員がどんどん成長してきた」。組織を率いる栄課長は、冨田さんが頼りになる存在と目を細める。

「冨田さんが盛岡に来てから組織が明るくなりました」と話すのは同じ課で年次が1年下の村山佳奈さん。「優しいだけでなく、後輩たちに期待しているとの姿勢を示して話をし、相談事には親身になって対応してくれます。メンバーのために何かをしようという姿勢はぜひとも見習いたい」と、今では冨田さんを目標にする。

盛岡に来たことで冨田さん自身も「仕事に対して前向きになれた」と自らの変化を感じている。短期JOBリクエスト制度は任期が原則1年、本人の希望に応じて延長することは可能だが、長くても数年と決まっている。「時間が限られるなかで地域や組織の役に立つためには、積極的に発言し、果敢に行動しなければ間に合わない」。気づいたことがあったら迷わずに言うようになった。以前は様子を見ることがあったが、その姿勢が改まったという。

Tomita35_680x420.jpg
盛岡市を流れる北上川の河岸にて。オフの日は東北各地に出かけ、豊かな自然を楽しんでいる

冨田さんは盛岡での自らの役割については「下の若い社員の意見を拾って課長につなぎ、課長の意見を下に分かるように伝えること」という。チームの情報のハブ(結節点)となり、メンバーの潤滑油となってチーム全体の力を高めようとする姿は、強いスポーツチームに見られる優れたキャプテンシーを備えた存在に似ている。

盛岡で残された任期も少なくなってきた。やり残したことを聞くと「盛岡のチームが安定して稼動し続けられるように、勉強会などでメンバー一人ひとりの力がさらに高まるように努めていきたい」。組織の成長を優先する思いが伝わってきた。

会員登録すると、イベントや交流会への参加、メールマガジン購読などご利用いただけます。