STORY 日本能率協会 vol.3

学ぶ場を提供するたび、高まる仕事へのエネルギー

日本能率協会 経営人材センター トップ・MIチーム長
丸尾 智雅さん

調査研究、セミナー、展示会などを通じ、企業や団体の経営革新を支援する日本能率協会。経営人材センターのトップ・MIチーム長として活躍する丸尾智雅さん(43)は研修プログラムの企画・運営を手がけ、チームのとりまとめ役も担う。学ぶ場を設計し、提供するたび、自らも多くの学びを得る。そのたびに仕事へのエネルギーが高まる。そう実感する日々だ。

アルバイトに仕事任す組織に魅力

「意思があって就職したわけではなく......」。苦笑いを浮かべ、丸尾さんは大学卒業を控えた約20年前のことを話し始めた。興味があったインテリア関連企業に入社を断られ、就職活動にむなしさを感じた頃、家族に日本能率協会を紹介された。とりあえずアルバイト。仕事の内容を深く知る時間もなく、スタートした「社会人生活」だった。

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丸尾智雅さんは社会に役立っていると感じ、仕事に引き込まれていった

最初に携わったのは、秘書向け、人事部門の教育担当向けの短期のプログラムと、10カ月という長期コースの運営。セミナーなどでの司会進行、テキストの用意といった多様な業務が待っていた。こんな仕事があるんだ。最初は新鮮な驚きが訪れ、すぐに引き込まれることに。「職員の会議に出席でき、発言を聞いてもらえる。正規、派遣といった雇用形態にかかわらず、やる気があれば仕事を任せてもらえた」ことが魅力だった。「社会に認められている、役に立っていると感じた」

1年後、正職員の募集があると迷わず応募し、1997年に正式に組織の一員となる。引き続き短期、長期あわせて複数分野のプログラムを任されるとともに、1年に1回開かれる大規模なカンファレンスイベントも手がけることになった。その後も経験を重ねるにつれ、業務は広がっていった。

駆け出しだった当時の忘れられない体験がある。98年、3000人が来場し、複数のセッションが同時並行で開かれる大規模なカンファレンスの運営統括者に抜てきされた。準備に汗を流し、さあ本番と意気込んだ開幕前日、突然会場の機材トラブルに見舞われたのだ。どうすればいいのか。必死の原因究明・修復作業の末、なんとか予定通りできるメドがついたのは、夜も遅く。「とにかくホッとして、涙があふれてきた」。会場近くのホテルに帰りベッドに入ったものの、次から次へと気になることが頭に浮かぶ。「思い出してはメモをして目を閉じる、の繰り返しだった」と振り返る。

悩み苦しんだマネジメント見習い

 この出来事があった翌年から、丸尾さんにはライフイベントが相次ぐことになる。99年に結婚、2000年には第1子に恵まれた。仕事は面白く、やりがいがある。結婚や出産を機に退職する選択肢は自分にはなく、辞めようとは思わなかったと話す。

環境にも恵まれた。復帰した職場の上司は三つ子を育てた母親。上司自身、子どもの都合で休んだり、早く帰らなければならなかったりしたときに周囲の理解を得られなかった経験があり、丸尾さんには最大限の配慮をしてくれたという。「同じ思いはさせたくない、子どもを第一優先にしていい、と言ってもらえた」

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大変だったが、周囲の理解もあり、子育てとの両立ができたと振り返る

男性が主に担当したプログラムの企画・営業に女性がかかわり始めたことも、支えになった。これまでの運営業務だと、セミナーが終了する夕方まで拘束されるが、企画ならば自分で時間をコントロールしやすい。「帰宅後は毎日バタバタ。最初の頃は出張に出かけられないといった制約もあり、子育てと仕事の両立が完璧にできたとは思わないが、なんとかやってこられた」。もちろん、任された仕事はやりぬくという強い意志もあった。

順調にキャリアを重ねた丸尾さんだが、この後、もがき、悩む時期がやってくる。第2子出産後に復帰した翌年の06年、所属部署をとりまとめる「マネジメント」見習いが与えられた。さらに、後輩の教育係も加わる。「全体をみながら、人の配置、役割分担を決め、指示することに苦手意識があった。うまくほかの人に割り振れず、やらなければならないことだけが目の前にたまる。つらい1年だった」。仲の良い先輩は後に、「あの頃のあなたの顔は険しく、声がかけられなかった」と教えてくれた。マネジメントは向いていない。そんな思いだけが強く残ってしまった。

翌年には人事部に異動となり、協会職員の研修や採用などの担当に就いた。希望をしていない異動で、「正直、どう受け止めていいのか分からなかった」。うまくいかなかった職場のマネジメントに突然の異動。心のモヤモヤが晴れないまま、新たな職場での生活が始まっていく。ところが、新たな部署は新しい視点を教えてくれることに。「企業で研修を企画・実施するお客様はこんな気持ちなんだと理解を深めることができ、自分の中で変化が起こった」と思い返す。

外部の企業・組織向けセミナーの企画担当として事業部に戻ると、これまで以上に精力的に動いた。グローバル人材の育成が求められ始めたことに着目し、タイのビジネススクールと組んで専門のプログラムを開発。海外出張にも飛び出した。企業の要望にあわせて組み立てたオリジナルの研修を提供する「個社ソリューション」を担当するなど、新たな挑戦もした。

女性には「無理しすぎないで」

しばらくこのままで。そんな思いを描いていた丸尾さんに、転機が訪れる。「マネジメントの仕事に移らないか」。苦手意識のあった立場への挑戦を求める打診だった。一度は断りたいと伝えたが、ある上司はこうアドバイスした。「あなたが断れば、人事構成が結構覆ってしまう。そこまでして断るのはどうかな。どうしても合わなければ、そのときに戻ってくれば」と。再考し、新たなポジションを引き受けることにした。

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経験豊富なメンバーがサポート

担当は役員対象のプログラムだ。チームは丸尾さんともう一人。「プレイングマネジャーのような立場で、2人でミーティングを重ねながら企画した。上司・部下ではなく、同志という感じで、やりやすかった」という。以前の苦い経験を通じ、無理して自分だけが仕事を背負い込んではいけないことも分かっていた。自分のチームの統括にとどまらず、他のチーム、さらには上位組織である「センター」全体の動向にも目を配る。苦手を克服し、マネジメント力を備えた女性責任者の誕生だった。

今、丸尾さんは役員を対象にする事業と、役員候補者向けという2つの分野のプログラムの責任全般を負っている。一緒に働くチームメンバーも6人に。「豊富な経験を持つメンバーに助けてもらい、上司と相談しながら、施策を練り、実践できるようになった」とほほ笑む。

仕事の面白さはこれまで以上に感じている。若手の頃にもプログラムに招いた講師などから多くを吸収し、尊敬できる人々に巡り合った。現在携わっている役員、役員予備軍の講習では、さらに多くのことを得ているという。社員はもとより、その家族の生活までも背負うという重圧をはねのけ、成長をつかむ。覚悟を持って会社を引っ張る経営者、役員クラスの生きざまを目にし、「仕事に対するエネルギーをもらい、私も社会や組織に貢献できるようになりたいと強く思うようになった」と語気を強める。自身の仕事観に共鳴してもらえる講師にも出会った。「自分がなすべき役割を理解できてきたと感じている」

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「日本能率協会はもっと世界で活躍できる」

後輩と話をする際には心がけて言っていることがある。それぞれの人の身の丈に合った仕事に少しプラスアルファをしよう、と。「そのために次のステージに一歩上がることができる場面を用意することが大切だと思う」。子育てと仕事の両立に心を砕いてきた経験から、女性職員にはこう助言する。「無理しすぎると長続きはしない。働き続ける秘訣は、今できることをしっかりやることと思って、私はやってきたよ」

「なぜそんなに働くの」「どうして海外出張するの」と時に不満をぶつけた長女は17歳になった今、「ずっと仕事をしてきたお母さんってすごいんだねと理解してくれるようになった」と喜ぶ。仕事を続けたことで、夫と互いに仕事の悩みなどを話すことができるのはよかったとも思う。

これからどんなキャリアの軌跡を描くのか、丸尾さんはまだはっきりとしたビジョンを持っていないという。ただ、これだけは確信している。「日本能率協会という組織はもっと世界で活躍できる。女性が輝ける場所がたくさんある」

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