STORY シード vol.3

「働いていてかっこいい」と娘に言われるような仕事をしたい

シード 学術部 臨床研究室 係長
小畑 晴香さん

コンタクトレンズ大手のシードで研究者として精力的に働いていた2017年4月、小畑晴香さん(32)は臨床研究部(現・学術部臨床研究室)に異動した。前の年に結婚し、出産・育児と仕事の両立を考えてのことだった。だが、結果的に全社の業務を俯瞰する視点を持つことができた。働き続けるためにフル活用したのは時短勤務、フレックスタイム制などの両立支援制度。家事・育児を分担する夫の存在もあって、2歳5カ月になる娘を育てつつ泊りがけの出張にも出かける。自身も働く母親の背中を見て育った。将来、娘から「仕事をしていてかっこいい」と言われるようになりたいと、多忙だが充実した毎日を送る。

基礎研究に没頭する日々

小畑さんが研究職としてシードに入社したのは2012年。配属先は鴻巣研究所(埼玉県鴻巣市)にある材料開発を手掛ける開発部だった。大学院では工学研究科で生物工学を研究していた。いわゆる「リケジョ」。子供の頃は景品や雑誌の付録で顕微鏡を選び、植物の細胞を飽きずに見ていた。就職活動では「医療機器、医薬品分野の研究ができる企業がいい」と考えていた。シードは当時から、ドラッグ・デリバリー・システムを応用したコンタクトレンズを開発していた。レンズに含ませておいた薬を決められた量、目の治療したい部位に狙った時間で届けるという研究だ。「自分もメンバーに加わりたい、と強く思いました」

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小畑晴香さんはシードの臨床研究室に2017年から勤務している

配属後は学生時代の研究と関係ある細胞関係の取り組みができた一方、全く違う種類の実験も多かった。材料を組み合わせて加工して新たな素材をつくり、それを評価し、フィードバックし、また新しい素材をつくる。そんな作業を繰り返す。コンタクトレンズという最終製品を販売するメーカーにあって、商品開発のタネを探る基礎研究に取り組む日々だった。

海外の学会で発表したり、英語で論文を執筆したりもした。大変な作業だったが、研究は楽しく、時間を忘れて夜遅くまで研究室にこもることもあった。「柔軟に、自分の思った研究ができる環境でした」。思うようにアイデアが浮かばず、行き詰まったときは、学会に出かけて頭をほぐした。「いろんな研究者の発表を聞き、新しいことを考え付いたり、全く違う分野の研究でもこれ生かせるな、とひらめいたり」。ベルギーの大学に1カ月ほど研究で滞在し、海外の研究者のレベルと姿勢を目の当たりにして刺激を受けたこともあった。

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鴻巣研究所時代は白衣姿で基礎研究に没頭した

もうちょっとやってみようかな

学生時代から慣れ親しんだそんな働き方が、結婚、そしてその先の出産・育児を見据えたことで大きく変わることになる。結婚から半年ほど過ぎたころだった。大学の同級生だった夫は結婚当初、単身赴任で岐阜県勤務。小畑さんは会社を辞めることも考えたが、今まで培った経験や研究スキルは、本人のみならず、研究職の同僚たちにも必ず必要とされるから、と上司に引き留められた。「それで、もうちょっとやってみようかなと思いとどまりました」。だから当時の上司には感謝している。「研究時代の知識も活かし、現部署で仕事と家庭を両立して働けているので、続けていてよかったと思いました」

仕事は続けるとして、もし妊娠したら働き方をどうするかについては悩んでいた。実験はさまざまな作業をするので、妊娠中の身体には必ずしも安全とばかりは言えない。帰任後の夫と暮らすことになる神奈川県内の新居から鴻巣に通うのも時間的に難しそうだ。そこで異動希望を出し、2017年4月、東京本社の現部署に異動。 新しい仕事は治験をサポートしたり、パソコンで文書をつくったりと、研究所とは一転して事務的な要素の強い仕事だ。これなら妊娠中でも安心して働き続けられると思い、会社にもそう伝えた。

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現在の仕事はデスクワークが中心

基礎研究に携わる研究者からの転身。最初は臨床研究、眼科検査やコンタクトレンズ処方についての知識も少なく、勉強したり、講習会に行ったり、覚えることが多かった。「でも、そうやって得た知識を書類として形にしていくのは、研究とはまた違う楽しさがあると気づきました」

開発現場と販売の「懸け橋」に

それ以上に収穫だったのは、会社の業務を俯瞰的にみて、全体を考えて仕事ができるようになったことだ。研究開発本部に属する臨床研究室には、たとえばコンタクトレンズの使用感を聞き取り、研究開発部門や製造部門にその結果をフィードバックするという仕事がある。社内の開発担当チームと、治験や臨床試験を担う施設との間に入り、どちらにも寄り添い、双方の意見を聞く。両部門を結ぶ懸け橋のような役割を果たす。そんな仕事ができる今の部署での毎日は充実している。

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社内外の各部門の間で仕事を円滑にする懸け橋を自任

「研究者のときの業務はほとんどが基礎研究だったので、実は製品を装用したときの特長などはあまり詳しく知りませんでした。今の仕事のようにユーザーの声を聞くことや、製品を触ったりすることもあまりなかった」。現在の業務はより製品に近いところにある。自分の会社が取り扱うアイテムをよく知り、仕事の工程を把握し、ユーザーに近い感覚でしっかり働けるようになった。鴻巣研究所時代にはあまりなかった感覚だ。コンタクトレンズを扱う会社の社員という実感が湧くようになった。

時短、在宅、フレックスをフル活用

2017年秋、長女を出産する。妊娠・出産、そして育児と生活が一変する中で、フルに活用したのが会社の諸制度だ。時短勤務、在宅勤務に加え、最近はフレックスタイムも加わり、より働きやすくなったと感じている。

東京本社への異動後しばらくは出産前の体を気遣って朝の通勤ラッシュを避けるため、また育休からの復帰後は子育てとの両立を図るため、小畑さんは時短勤務を利用している。1日の勤務時間を最大2時間短縮できる仕組みで、娘が生後4カ月だった育休復帰時から1歳になるまでは限度いっぱい、2時間の時短を取得した。午前6時半起床、8時には保育園に預け、9時半には出社という日程。午後4時半には退勤し、5時半に園で娘を迎えた。「慌ただしかったですね」

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仕事と子育てとで慌ただしく時間が過ぎる

復帰後は娘を保育園に送迎したり、相手をしたりする時間をつくりながら、いかにフルタイムで働くか――。カギになったのは在宅勤務制度だ。働き方改革の流れの中で会社が制度を整えつつあったのを受け、最初は試験的に使い始めた。娘を保育園に送り届けてから自宅で仕事に着手。定時で8時間しっかり働ける上、2歳5カ月となっていろんな言葉をしゃべるようになった娘と過ごす時間も少し増えるなど、利点が多かったという。最近運用が始まったフレックスタイム制も組み合わせ、朝早めに出勤するなど、夫と協力しながら時間の有効活用に取り組んでいる。

会社の諸制度を十分に活用しながら、子育てと仕事を両立させる。そんな自分の働き方が作り出す道もある、という自覚がある。こんな制度があったら――。妊娠中も復帰後も、折に触れて会社に整えてほしい制度について話をしてきた。「今、制度として確立していないものでも、必要を感じれば、自己申告制度や上司との面談の機会などを利用して、会社に伝える。それで徐々に認められていくという感じがします。在宅勤務もそうやって実現したのではと思っています」。両立に不便があるなら、会社にきちんと伝えることが大事だ。「今後も何かあれば積極的に会社に伝えていこうと思います」。社内に増えている若い社員が今後、仕事を続けていくのなら、制度は充実していた方がいい。良いモデルになれればと思う。

働き続けている姿を子供に見せたい

復帰後、初めての出張は娘が1歳を過ぎたころだった。関西方面に泊りがけで学会の発表を聞きに行った。「子供が泣かないか心配で、夜眠れませんでした。実際は父娘ふたりで問題なく過ごしたみたいで『何もなかったよ』と言われました」。家族としての自信もつき、今では出張の打診があっても「行きます!」と迷いなく答えられるようになった。泊りがけも含め、多いときで月に1~2回は出張する。

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会社の制度をうまく使って仕事を続けていきたい

とはいえ、娘が小学校に上がったらどうなるのだろうという心配事もある。「乗り越える壁がけっこう多いかな、とは確かに思います。ただ、制度を使えばすんなり越えられるのかなとも」。将来は子供から「仕事をしていてかっこいい」と言ってもらえるような働き方をしたい。かっこいいとはどういうことか。「仕事を続けていられるイメージでしょうか」――。小畑さんの母親は自営業で、土曜、日曜も働いているのを見て育った。しっかり働いて、家のこともちゃんとやってくれる。だから娘にも、自分が働き続けている姿をしっかりと見せたいと考えている。「いろいろ学んでスキルアップもしたいと思っています」                                                            

長年の趣味は市民オーケストラでのビオラ演奏と、手芸。赤ちゃん用のメリーも自分の手でつくった。出産後にやむなくタンスにしまい込んだままのビオラは、子供が大きくなったら再開するつもりだ。仕事と子育てであっという間に時間が過ぎる毎日。加えてつい先ごろまで、社内の選抜英語研修のために自宅で英語を学んでもいた。TOEICの点数も少し伸ばすことができ、やって良かった、と実感した。

研究に没頭した独身時代の生活に戻ることはない。当時は帰宅も遅く、そこからさらに英語の勉強をしたりしていた。「懐かしいですね。自由でした。でも、健康的な今の生活も悪くないなと思います」

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