STORY DoCLASSE vol.2

服を選ぶ幸せあふれる店、ほほ笑みとともに築く

DoCLASSE Supervisor 兼 新宿アルタ店レディース店長
福田 かおりさん

衣料品通販を手掛けるDoCLASSE(東京・世田谷)が2018年6月に開いた新宿アルタ店(同・新宿)。同社最大規模をほこる新拠点のレディース店長を務める福田かおりさん(46)は、学生結婚し、出産してから仕事を始め、3度勤務先を変えた。異色の人生を歩んできた彼女は今、服を選ぶ幸せがあふれる場所をつくろうと奮闘する。

学生結婚、出産、そして就職

10~20代女性が集まる商業施設、新宿アルタの1階に40~50代を対象とした衣料品が並ぶ。周囲と異なるたたずまいの新店で、福田さんは休まず店内を巡る。来店客には「この組み合わせだとより落ち着いて見えますよ」とアドバイス。スタッフの問い合わせには「だったらこうしてみようか」と明確な指示を出す。

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上司の顔色をうかがうようなチームにはしたくないと、常に笑顔で接する

客層は当初想定より若め。設備仕様に戸惑うなど予想外の出来事が次々起こった。「バタバタでなく、ドタバタドタバタの毎日」。でも、その顔は絶えずほほ笑みがあふれる。「笑顔でない上司だと、スタッフは顔色をうかがうようになる。そんなチームにはしたくない。常に風通しをよくしたい」。だから、笑顔を欠かさないという。

DoCLASSEで働き始めるまで、福田さんは3つの会社に勤めた。この間に専業主婦をしていたこともある。正確には専業主婦から社会人生活は始まった。「一般の人とは逆のパターン」。自身の経歴をこう表現する。

幼い頃から本好きで、多くの人にも読んでもらうような手伝いがしたいと、広告デザインや書籍の装丁を学ぶデザイン系の学校に通った。そこで出会ったのが同じクラスにいた夫。恋に落ち、「すぐに一緒になりたい」と親の反対を押し切って20歳で結婚した。間をおかず卒業し、男児を出産する。「妊娠中で就活なんてできなかった。子どもをある程度育てて、チャンスがあれば勤めたいなと考えていた」。就職して結婚・出産ではなく、結婚・出産して就職という「逆パターン」だ。

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子どもがよちよち歩きをし始めてから、就職した

20歳の育児。友人は誰も経験がなく、気軽に質問できる相手は見当たらない。手探りで進めるしかなかった。睡魔と闘いながらの毎日だったが、成長するわが子との時間は充実し、楽しかった。そして2年後、よちよち歩きを始めたのを機に、専業主婦生活に一度区切りをつけ、デザイン会社に就職した。憧れ、一度は経験したいと切望していた広告デザイン、装丁に携わるためだった。

仕事と家庭の両立は難しく、小さい頃は体が弱かった息子はよく発熱し、預けていた保育園から幾度となく呼び出しがかかった。そんなとき、同僚は嫌な顔ひとつせず、迎えに行くよう促し、自宅でできる業務に切り替えてくれた。「周囲の協力がなければ続けられなかった」。装丁を手掛けた歴史書の表紙に自ら描いたイラストが採用された際は、本当にうれしかったと振り返る。

同年代との接客にこだわり

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小学生の間は専業主婦。「毎日おかえりと迎えたかったから」

充実した5年の日々が過ぎた1999年、福田さんはデザイン会社を去り、専業主婦に戻った。子どものためだった。「学校から帰ったときに、おかえりと迎えてあげたい。ただそれだけだった」。辞めれば同じ業界に復帰するのは難しいと分かっていた。それでも「5年間好きなことをしたのだから、小学生の間は私の時間をささげようと」。不器用で、同時に2つのことに全力を傾けるのはできないとの思いもあった。

2度目の専業主婦を経て、福田さんは再び仕事先を探し始める。最愛の息子は中学校に進学し、親に構われるのが嫌になる年頃に差し掛かった。「部活で帰宅は遅いので、平日昼間の仕事なら『おかえり』と毎日迎えられる」。見つけたのが自宅近くのジーンズカジュアル専門店だ。

学生時代、衣料品店でアルバイトをしていた。本と同じように服も大好き。「お客様は誰もニコニコしながら選んでいる。その顔を見るだけでうれしくて、声をかけて話をするともっと楽しかった」。会話から糸口を見つけ、もっと喜んでくれる、もっと笑ってくれるコーディネートを提案した。嫌な思い出はひとつもない。衣料品を扱う仕事を選ぶのは自然の流れだった。

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装丁と販売は似ているという

パート社員として平日午前9時から午後6時まで勤務するうち、福田さんはあることに気付く。「装丁と販売は似ている」。どちらも商品をいかにアピールできるかが重要となる。「デザインを練り上げ、本の内容のよさを表紙で伝えるのが装丁で、言葉や表情を駆使して、扱っている品物を来店客に伝えるのが販売」。どちらも好きで、自分に向いているとも感じたそうだ。

だから仕事にのめり込んでいった。半年後には24時間営業だったパート先の深夜帯シフトに入ることに。子どものことは気がかりだったが、「夜の接客も体験して勉強したい」との意欲が勝った。「おかえり」と言えない日には、食事をつくり、手紙を置いて出勤した。「息子は何も言わずに『がんばれ』と応援してくれた」と感謝する。

3年間の勤務で仕事勘が戻ると、今度はベビー用品専門店に移る。赤ちゃんの服を扱ってみたいからというのが最も大きな理由だ。そして顧客層。「話題が合う自分と同じ年代の方をお招きし、背中を押すような接客をしたい」。福田さんはずっと考えてきた。ベビー用品を購入するのはまさに自分と同世代の20~30代で、ピッタリ合った。

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ベビー用品専門店では商品知識を蓄える重要性を叩き込まれた

ここでは商品知識を蓄える重要性を叩き込まれた。店頭には乳児が口にする哺乳瓶や粉ミルクなども並ぶ。「間違った提案をすると命にかかわることもある。すべて頭の中に入れるよう、指導された」と振り返る。

何事も挑戦「チャンスは貯金できない」

ここでも3年が過ぎた2012年、福田さんは3度目の転職を決意した。最優先に考えてきた子どもは大学生となり、完全に手が離れた。この年で40歳。節目だとも感じた。

ベビー用品店では自分より若い来店客が増えつつあった。同年代の顧客と接し、その人の役に立ちたいと強く思ってきただけに、「このままでは年齢差がもっと開いてしまう」との懸念が頭をよぎっていた。ひとつ上の世代、40~50歳をターゲットにした店舗はないか。探していた時に偶然目に入ったのが、DoCLASSEの求人広告だ。

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オープニングスタッフの募集広告が強く印象に残った

ブランド名は聞いたことがない。ただ、掲載していた言葉は心に刺さった。「まだまだできたてのブランドです。あなたの力でゼロからお店を作ってみませんか」。すぐに連絡先に電話をかけた。商品に最初に触れたのは、面接があった東京・日比谷の店舗。第一印象は「高級そう」。値札に目をやると「あれ、安い」。すごいブランドだと魅了された。

パート社員としての採用が決まり、自宅近くの新店に通う日々がスタートする。1年半後には店長サブを任され、契約社員に切り替わることに。それからしばらくして「立川市で店長をやってみないか」と声がかかる。「チャンスは貯金できない。機会が与えられれば必ず挑戦する」。二つ返事でやりますと伝えた。

そこから新たに立ち上げた2カ所の店長を経て、18年には新宿アルタ店に着任。どこも「やりたい」と自ら手を上げた。チャンスは貯金できないから。もちろん、職責も十分理解している。「お客様はもちろん、働くスタッフの満足度も上げなければならないのが店長。自分の周囲の人をどれだけ喜ばせることができるかが、大切な使命」なのだと。

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「お客様とスタッフ、どちらの満足度も上げるのが店長」

店長としてプレッシャーを感じながらも、福田さんは旗艦店の目指す姿をこう掲げる。「客層を絞り込みすぎず、街にくるすべての方が気軽に立ち寄り、商品を見ながら笑顔になる場所にしたい」

実はもうひとつ、重要な仕事がある。店舗指導を担う「スーパーバイザー」として、各地の拠点を任せられる人材を育てることだ。店長が変われば、新たな風が吹き、新しいスタイルも生まれると考える。だからこそ、「お客様第一という理念をしっかり理解したうえで、強い店舗にできるような人材をつくりたい」とも願う。「そんな人を新宿アルタ店から輩出できれば」。福田さんの挑戦は続く。

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