STORY 「挑む」 Front Runner vol.4

新型コロナの謎に迫る 決断力と機動力の免疫学者

米エール大学 教授
岩崎 明子さん

岩崎明子は米エール大学で免疫学の研究室を主宰する。「女性が世界に羽ばたく科学者になる道が日本では塞がれているのではないか」。そう考えて高校を中退し単身で海を渡った。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が出現すると直ちに研究室の全資源をこのウイルスの研究に投入。正体の解明や治療法の探索に挑んでいる。 (文中敬称略)

果敢な行動力でパンデミック克服を目指す

岩崎の反応は素早かった。2019年末に中国で未知の感染症の流行が確認された。周囲では「米国は大丈夫」などと楽観論がささやかれる中、「そんなことを言っている場合ではない」と研究室の態勢を2020年初めから大きく変えることを決めた。

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米エール大学の岩崎明子教授は「多くの人に正しい事実をしっかりと伝えるのは科学者の使命」という

それまでは動物実験でウイルス研究に取り組んできており、ヒトの血液サンプルなどを扱った経験はあまりなかった。患者の血液から免疫細胞などを分離する手法などを大急ぎで取り入れ、学内にあるBSL-3(バイオセーフティーレベル3)施設をフル活用できるよう研究室のメンバーの多くが自ら志願してその資格を取得した。2020年3月中旬、米国内の感染拡大に伴いエール大はロックダウンを決定。活動を続けられるのは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の研究に取り組む少数の研究室だけ。岩崎の研究室はその1つになった。

岩崎が研究テーマを大胆に、急角度で変えたのは、これが2度目。最初はエール大に助教授のポストを得て赴任した2000年のことだ。

米国立衛生研究所(NIH)で免疫研究の若手ホープとして活躍していた岩崎は30歳の若さでエール大に来た。この時、それまで手がけていた免疫の基礎研究からウイルス感染症に研究分野を変えた。「独立して、自分のやりたいことが何でもできる。ウイルス感染症が面白いと思った」と話すが、それまでウイルスを扱ったことは一度もなかった。研究室に集まったポスドクや大学院生も同様だった。

リスクをとるのが好き

ウイルスの培養法などを教えてくれる研究者を探し回った。快諾してくれたのは、ハーバード大学教授のナイプ(David Knipe)だ。面識はなかったが、3回ほど足を運び、一から教えてもらうことができた。「ウイルスを分けてもらって研究室に送ってもらい、ラボのみんなで一緒に手法を覚えた」

エール大でテニュア(終身在職権)を手にするには、それまでの研究テーマを続けて業績を手堅く上げていくのが賢明な時期だったろう。だが、岩崎は新たな道を選んだ。「リスクをとるのが好きなんです」と岩崎は笑う。

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米エール大学の岩崎研究室のメンバーとその家族らと恒例のピクニックで。前列の左から4人目の女児を抱いているのが岩崎(2011年)

父は物理学者、母は放送局勤務。生まれたのは三重県伊賀市だが、記憶があるのは兵庫県川西市に引っ越してから。「田んぼや池でおたまじゃくしを捕まえるなど、どこにでもいそうな田舎の子どもだった」

中学1年生のとき、父のサバティカルで8カ月間、米メリーランド州で暮らしたのが最初の転機になった。言葉が通じず文化が異なる環境にいきなり放り込まれた。「カルチャーショックだった。例えば学校のロッカーの鍵がダイヤル式で何週間も使い方がわからず困った。でも使い方を教えてくれた友達と仲良くなって今でも手紙のやりとりをしている」

楽しいことよりつらいことが多かった米国生活だったが、英語が少々話せるようになり、「外国でも何とかやっていける」自信のようなものが芽生えた。

大阪府立香里丘高校の1年生になると、今度は自分の意志で留学する。カナダの高校に1年間、「英語を磨く」ために一人で渡った。1年ほどして帰国すると、数学に興味を持ったので高校では数学クラブに属した。このころからはっきりと理系を志すようになったが、「友人や親類と進路について話すうちに、日本にいても素晴らしい科学者になれないのではないかと、不安と絶望感を抱いた」と言う。

女性は結婚して家庭を築くのが幸福だと考える周囲に「それでは物足りない」といら立ち、海外に出て「たとえ科学者でなくても独立して自分の力を試したい」と強く願うようになった。

高校を中退しトロント近郊の高校に入り直し、カナダの大学受験を目指すことを決めた。両親は反対しなかった。「私を理解し、一人で行かせてくれたことに今も感謝している」と話す。

トロント大学に進学し4年目。初歩的な免疫学の講義に出席し、免疫の仕組みに惹かれた。「多種多様な細胞が体内のいろいろな場所でいろんな道具を使って細菌やウイルスと戦う。すごく複雑でそれが面白い。様々な楽器がそれぞれ異なる音色を響かせるオーケストラの演奏を聴くよう」。ワクチン開発などを通じて「社会の役に立つ」ことも魅力だと感じた。

定説を覆す発見

岩崎を惹きつける講義をした免疫学の教授、バーバー(Brian Barber)の研究室に入り、当時からすでに話題になっていたDNAワクチンの研究を始めた。ウイルスのDNA断片を組み込んだプラスミドを筋肉に注射する。すると、ウイルスのタンパク質が筋肉細胞で発現しT細胞を活性化すると、当時は考えられていた。

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進学したトロント大学の講義で免疫の仕組みに惹かれた。ラボでDNAワクチンの効果を調べる研究に取り組む(1995年)

なぜ筋肉で? そう考えた岩崎が詳しく調べると、筋肉細胞は免疫に関係ないことがわかった。ワクチンを接種すると、血中のモノサイト(単球、白血球の一種)が樹状細胞(免疫細胞の一種)に姿を変えて集まってくる。その樹状細胞がウイルスのDNAを取り込み、近くのリンパ節に移動してからウイルス排除に働くT細胞を活性化するという仕組みであることがわかった。定説を覆す発見だ。

学会で発表すると反響があった。実は岩崎より少し前に別の研究者が独立に同じような発見をしていたのだが、事実上の学会デビューとしては申し分のない成果だった。

岩崎は1998年、ポスドクとしてNIHに移り、粘膜免疫を新たなテーマに選んだ。「ウイルスや細菌は粘膜から感染する。感染の入り口から調べるのが面白いと考えた。そのころ免疫学は全身を相手にして局所での働きはなぜかあまり研究されていなかった」。NIHには粘膜免疫の分野で著名な研究者、ケルソール(Brian Kelsall)がいた。

小腸の一番後ろにパイエル板という器官がある。リンパ組織の一種なのだが、腸管粘膜の直下にありウイルスなどの侵入を検知し、ここで獲得免疫を生み出す。パイエル板は全身の免疫システムの中で特別な場所だ。岩崎はパイエル板の細胞を培養し、他のリンパ節に見られるものとは働きの異なる樹状細胞が存在することを見つけた。

獲得免疫は、外敵を検知した樹状細胞が取り込んだ敵の抗原をT細胞に提示してT細胞を活性化するプロセスを通じて生まれる。パイエル板で樹状細胞によって活性化されるT細胞は食べ物などに対するアレルギー反応に関与するものだけだとわかった。後にタイプ2(Th2)と呼ばれるT細胞の一群だ。他のリンパ節で生まれるT細胞はタイプ1(Th1)と呼ばれ、主として炎症の原因となる。2つのタイプは放出するサイトカイン(生理活性物質の総称)も異なり、バランスを取り合っていると考えられる。

岩崎の発見まで、樹状細胞はどのリンパ節でも同じ働きをすると考えられていたが、実は働く場所によって機能が異なり、腸管ではタイプ2のT細胞だけを生み出すことがわかってきた。現在では免疫学の教科書に載る大きな発見だった。こうした成果を跳躍台に、岩崎はエール大のポストを得た。

エール大で初めて自らの研究室を持ち、手がけたのはヘルペスウイルス。狙いを定めたのは、膣の粘膜免疫。性器に感染するヘルペスウイルス感染症は世界中で多くの患者が存在する。岩崎は免疫研究で得た知見に基づき「プライム・アンド・プル」と名付けた免疫法を提唱する。

ワクチンを接種した後、感染が予想される局所にケモカイン(生理活性物質の一種)を投与する。ケモカインによってT細胞が誘導され局所で長期間にわたって免疫が維持される。ワクチン接種(プライム)とT細胞誘導(プル)の合わせ技だ。

注目成果いくつも

現状ではヘルペスウイルスに対するワクチンがないので、子宮頸部に感染するパピローマウイルスに対するワクチンでプライム・アンド・プル法を応用し、治療に使えないかと考えている。臨床試験ができる研究機関と研究が進行中だ。また自然免疫において、細胞のエンドソームと呼ばれる小胞にあるレセプター(トル様受容体)でウイルスのDNAやRNAが認識されることを示した一連の論文は被引用件数が高く、免疫学の教科書に載る成果となった。

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オーガナイザーを務めた学会で研究室のメンバーとともに。中央が岩崎(2017年)

2020年3月に新型コロナウイルスを相手とする研究に突入してからも、岩崎の研究室は注目される成果をいくつも発表してきた。エール大の附属病院に入院した患者の血液を調べた最初の論文では、男性は女性に比べてT細胞の活性化の度合いが弱く、より重症化しやすいことを明らかにした。

また中等症や重症の患者を長期間調べた結果、死に至るほど症状が重くなる患者では通常のウイルス感染では見られない多種多様の免疫細胞が異常に活性化されていることがわかった。「いろいろな免疫細胞がおかしくなり、免疫が撹乱されてウイルスを殺せなくなっている」と岩崎。

炎症などを引き起こすサイトカインが種々の免疫細胞から大量に分泌される「サイトカインストーム」の発生がよく指摘されるが、「サイトカインにとどまらず細胞の傷害につながる様々な物質が過剰に出ている」と言う。

逆に、通常はいの一番に出て免疫系の働きを先導するインターフェロン(サイトカインの一種)がCOVID-19では分泌されないことがある。あたかもインターフェロンの不在を埋め合わせるかのように他のサイトカインなどが過剰に出る。インターフェロンが早期に適切に出る人は重症化せず、感染初期のインターフェロン投与が重症化を防ぐのに有効とも言える。

SARS-CoV-2が脳神経細胞に感染することも示した。重症患者の中には脳神経系に障害が表れる人がいるが、ウイルス感染の入り口である受容体(ACE2)が脳神経細胞にも確かに存在することを突き止めた。

回復後も倦怠感や集中力を失う「ブレイン・フォグ」などの後遺症で長く苦しむ人の存在が注目されている。「ロング COVID」と呼ばれるが、岩崎は後遺症には脳神経系へのSARS-CoV-2の感染や自己免疫が関係しているのではないかとみている。「現状では治療法がなく、後遺症を抱えて日常生活に戻れない人が大勢いる。いま一番力を入れているテーマだ」と話す。

知識普及に努める

岩崎はパンデミック発生以来、テレビやラジオ、ソーシャルメディアなどあらゆる手段を使って感染症の正しい知識の普及に努めてきた。誤った情報が行き交いネットで増幅される現象が世界中で起きている。「科学者として正しい事実をより多くの人に知ってもらうのは使命だ」と考えるからだ。

女性や若手研究者など大学で弱い立場にある人たちのために声を上げることにも熱心だ。自らも女性であることで差別を感じた経験がある。昨年4月、Nature Medicine誌に「毒のある研究主宰者への解毒剤(Antidote to toxic principal investigator)」と題した意見を公表し、アカデミックハラスメントの根絶などを求めた。実力主義でオープンにみえる米国だが、悩みの相談に岩崎のもとを訪れる学生や若手研究者は少なくないと言う。 (日本経済新聞編集委員・滝順一)= 日経サイエンス 2021年4月号に掲載

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