STORY 国際石油開発帝石 vol.1

多様性の職場は「話す」ことが大事
仕事は真剣に、でも深刻にならずに

国際石油開発帝石 INPEX FINANCIAL SERVICES SINGAPORE
池田 幸代さん

世界を舞台に石油・天然ガス開発を手掛ける国際石油開発帝石(INPEX)。そのファイナンス統括としてシンガポールに設立された金融子会社で、池田幸代さん(54)は2017年からディレクター(現地代表)を務める。前職の世界銀行グループ勤務時代は電力セクターへのプロジェクトファイナンス(事業向け融資)業務で中央アジア、中南米、東南アジアなど発展途上国での仕事を経験。伸び盛りの国々とそこに暮らす人々の活気に強くひかれた。INPEXに転じた後は、多文化・多民族で構成される職場をリーダーとして率いる難しさも知った。日本を離れて働くうちに得られたグローバルなビジネスの「基本」は、違いがあることを受け入れ、議論を尽くして共通項を見いだすことだった。

日本と違う環境の国に住みたい

「ワクワクしないなあ......」。2016年、INPEX FINANCIAL SERVICES SINGAPORE勤務の辞令を受けたときの気持ちを、池田さんはそう振り返る。INPEXグループ全体の資金管理をより効率的にするために金融子会社を立ち上げる。責任は重いが、とてもやりがいを感じる。ただ、シンガポールは出張などで何度も足を運んだことがあり、住む土地としてはあまり面白みを感じなかった。「東京と似た暮らしで想像がつく。せっかく海外に住むなら日本と全然違うところ、違う環境に住みたかった」

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池田幸代さんは2005年にINPEXに転職。2010年から女性で初めてのジャカルタ駐在員を務めた

そんなちょっと浮かない気分は、ほどなくシンガポールという国への興味に変わる。中国系の住民が主体だろうと漠然と思っていたが、実はマレー人、インド人、ヨーロッパ系など多種多様な人種が混然となって暮らす超多民族国家。文化も生きる前提も違う移民でできた国を維持していくため、首相から庶民まで皆が真剣に考え、工夫を凝らしている。生まれながらにして日本人という日本とは異なり、「自分たちはシンガポール人」という意識を共有し、国に誇りを持つために努力している。国家をつくるというのはこういうことか、と面白さを感じた。 

海外出張が多かった父の話や、持ち帰るおみやげを通じ、幼いころから海外への関心を募らせた。大人になったら外国に住み、外国人の友達をつくるという夢を抱いて成長した。「解けた、解けないがすっきりしていて好きだった」という数学が得意科目。慶応義塾大学理工学部の管理工学科に進んだ。統計学など数学がベースの学問で、経営を効率化するにはどうしたらいいか、工場のラインをどう効率的に運営するかなどを研究する。そこで情報工学を専攻した。院生の時に交換留学の制度を使い、米国のニューヨーク州にあるロチェスター大学のMBA課程で学ぶ。初めての外国暮らしだ。

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グループ内のファイナンス業務を担うシンガポール子会社のリーダー

管理工学科の卒業生は金融、証券やコンサルティング会社に進む者が多かった。日本の企業から来ている多くの留学生の話を聞くうち、日本興業銀行(当時)に進路を定めた。インフラなどの国家的プロジェクトなどに資金を出すプロジェクトファイナンス業務に惹かれたからだ。「金融が経済の発展に大いに貢献している、ということにワクワクした」。1990年、興銀入行。

発展途上国に身を置く高揚感

1997年に世界銀行グループに転職したのも、プロジェクトファイナンスと本格的に関わりたいとの思いが強まったからだ。勤務地は米ワシントンD.C.だが、気持ちは別のエリアに飛んでいた。「発展途上国とか、変わったところに出張に行くのが好きだったんです。特別な感覚というか、なんとも言えない高揚感があって」。途上国に特有の「上を向いてがんばればいい未来が待っている」というエネルギー、次に何が起こるかわからない空気の虜(とりこ)になった。これまで世界55ヵ国・地域を訪れたが、その多くは世銀時代に積み重ねたものだ。

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世界銀行グループ時代は発展途上国の電力セクター向けプロジェクトファイナンスを担当(ウルグアイ、アイルランド、南アフリカ、米国、インドなど各国から集った上司や同僚たちと)

30代半ば。当時の最貧国のひとつに位置付けられていたタジキスタンのパミール高原に水力発電所をつくるプロジェクトチームに加わった。帰りの飛行機が欠航し、アフガニスタン国境の道なき道をクルマで18時間ほど走破。世銀の同僚たちや電力会社など15人ほどの道行きだが、女性は一人だけ。用を足すときに「木陰には行くな」と言われた。「地雷が埋まっているかもしれないから道でしろ、とか言われて」とけらけら笑って話すが、仕事が好きでなければとても務まらない。冬には気温が氷点下30度まで下がることもある厳しい土地。電力が安定的に供給されるのを心待ちにする住民といろいろな話をした。経済開発の意義、やりがいが心にしみた。

2005年、金融ではなく、実際に事業をする側で働いてみたいという思いから、INPEXに転職した。東京勤務を経て、2010年からインドネシア・ジャカルタに5年間駐在。毎日がハプニング、びっくりすることの連続だった。

グローバルな人付き合いとは

多国籍、多文化・異文化、前提が違う人たちと一緒に働くのは、楽しくもあり、大変でもある。ジャカルタ時代の実体験。インドネシア人の同僚がつくってきた資料は、10ポイントと10.5ポイントのフォントが混在していた。それを指摘したところ、返ってきたのは「オーイケダサン、ユーハブグッドアイズ(目がいいですね!)」。なんというおおらかさ。字の大きさは自分でそろえればいいか。......いや、そういうことではない。思い直し、誰もが読みやすくきれいな資料をつくるべきだと伝えると「内容がちゃんとしているなら、それが一番重要ですよね」と返された。

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とことん話をするのがグローバルのビジネスの基本と考えている

自分の言葉が原因で辞めた部下の女性もいる。政府との交渉の後、「あの時こういえばよかったよね」と声をかけた。優秀で大いに期待していたので、がんばれ、という気持ちを込めたつもりだった。日本人ならしごく当たり前にも思える。ところが彼女は「チームメイトの前で叱責された、恥をかかされた」と人事部に報告し、退社してしまった。インドネシアには人前で指導したり、注意したりする文化はない、と赴任前に説明を受けてはいた。ただ、この時は叱る、注意するという感覚ではなく、それだけに上司としてかなりのショックを受けた。

きれいな書類をつくるのも仕事のうちと考える日本人と、高等教育を受けた自分の仕事は資料の見た目を整えることではないと考えるインドネシア人。日本の感覚でかけた声が部下の退社の引き金になった一件――。もしかしたら自分の前提の方がおかしいのかもしれない。それは話をしなくては分からない。自分が黙っていればいいというわけではない。「でもあの時、私は彼女を叱っていたのか。いまだに忘れられない」。国籍、宗教、文化的背景、考え方。違うことがたくさんあり、違うのが普通というのが出発点。とにかく話せ、と自身に言い聞かせている。

ダイバーシティは二項対立ではない

グローバルなビジネスの世界で生きてきて痛感するのは、ダイバーシティに関する日本と海外の感覚の違いだ。世界銀行に勤めた20年ほど前、アシスタントの男性はジョージ・ワシントン大学を卒業した男性だった。アシスタントです、と紹介されたときは「え?」と言葉に詰まった。政府要人なども出た名門校卒の男性がファクスやコピー、スケジュール管理の仕事をするのか――。日本では男女の役割分担に疑問を抱いていた自分にもそんな先入観があったのか、と驚いた。後に彼はこともなげこう言った。「僕はこういう仕事が好きだし、バリバリ働いている妻を支えたい。子どももいるしね」

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海外での経験を日本でどう生かすかを常に意識している

宗教、人種、セクシュアルオリエンテーション(性的指向)。ダイバーシティが単なる男女の二項対立にならないのが、ビジネスの現場における当たり前の感覚だった。妻の転勤に合わせて2年間休暇を取ってついていく男性。親の介護のためにテルアビブに住み、テレワークで働く社員......。そんな多様性が当たり前の職場で仕事をすることで、ダイバーシティの「国際標準」を先取りした。「ダイバーシティは日本では男女の問題ととらえられがちで二項対立になってしまう。でも、世界では男女のみならず、宗教も、人種も、セクシュアルオリエンテーションも、働くスタイルもあるので、ダイバーシティの話をしたときに広がりが出るのがいい」。日本に戻る際にINPEXを選んだ理由の一つには「多国籍で回っているエネルギー業界なら日本でもグローバルな環境で働ける、経験が生かせる」と考えたことがある。

広がるネットワーク

海外で暮らすと、日本に住んでいたら出会わないような人々と出会えるのが楽しい。仕事をしているだけではもったいない、と社外の活動にも積極的に参加。多くの友人を見つけ、かけがえのない財産になっている。ジャカルタではインドネシアの秘境を旅行する会や、インドネシアの歌をインドネシア語で歌う会に参加していた。シンガポールでは、週末にシンガポールの吹奏楽団「ウィンド・アンサンブル・ニッポン・シンガポール」(WENS)に参加。学生時代に吹奏楽部で担当していたフルートを吹いている。

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シンガポールで参加している吹奏楽団のフルートパートの仲間と

これまで、米国、インドネシア、シンガポールに住んでみて、元気で面白い日本人がどんどん海外に出ているように思う。特に、女性がエネルギッシュなのには刺激を受けている。進んで海外に移り住み、仕事を見つけて働く。新しい環境に飛び込んでいく思い切りの良さ、柔軟性、ガッツ、やる気。社外の知らない人との交流に積極的なのも、そんな「強さ」の延長線上にあるのではないか。

日本の常識は世界から奇異にみられている

シンガポール人にズバリと言われたことがある。日本人の働き方についてだ。シンガポールに国民の祝日は10日ほど、有給休暇は20日程度しかない。そんな中で自分の休みたい時に休む。ところが日本人は有給を消化せず、休む時は一斉に休む。「自国の通貨がトレーディングされているのに、皆でお休みしていますからって、それで国は大丈夫なの? 日本人って本当に働き者なのかな? そう問われてけっこう驚きました」。世界から見ると、いま日本がやっていることは奇異に映る。ダイバーシティについての内外の感覚の違いと、根っこのところではつながっているように思える。

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さまざまな背景の同僚をまとめ、ともに仕事をするのは面白い

同調し、空気を読み、忖度(そんたく)することの多い 日本。議論すると人格攻撃しているとみられがちだが、本来は議論が終わって残るのは人間同士の付き合いのはず。「違いを認め、違う意見を戦わせて共通点や落としどころを見つける。それがグローバルな人付き合いだと思います」

間違ったことを言ってはいけない、これを言ってはいけない、と日本人は心配ばかりしているが、とにかくまずは話すことだーー。世銀時代のインド人の上司からはそう言われた。それがグローバルのビジネスの基本になると実践し続けている。それでも「言わなかったことに対する後悔」のほうが多いという。

真剣にやる。でも深刻にはならない

いまだによく思い出す日本人の先輩の言葉がある。「仕事は真剣にやるべきだけど、深刻になってはいけない」。女性はまじめさゆえに仕事で深刻になりがち。人数が少なく常に注目されているため、さらに深みにはまりがちだ。自分も社会人になって数年間は力んでいた。(興銀の)総合職初期の頃だったこともあり「たとえば『女性ちょっとこれやっておいて』なんて上司が言おうものなら、なんで女性なんですか、って食ってかかったりして」。いまは、そこまで目をつり上げなくても良かったかな、と思う。同時に、もっとビジネスのいろいろな場面で女性が増えれば、目立つこともなくなり、力む必要もなくなるのに、とも。

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シンガポール勤務も3年たつ。仕事もオフも充実させたい

その先輩には「仕事は缶蹴りだから」とも言われた。ゲームみたいなものなんだからもう少し気楽に、という意味だ。だから、そういう状況に陥りそうなときは「深刻になっちゃいけない、仕事なんだから」と自身に言い聞かせる。同じようなことをインドネシア人の同僚にもよく言われた。「リラーックス!」と。真剣に、でも肩の力を抜いて仕事をしていきたいと思っている。


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