STORY シード vol.2

センスと持久力で台湾子会社の女性トップに

シード台湾 総経理
郭 育穂さん

台北で生まれ育ち、小学校4年生の時に初めて日本を訪れた。開業間もない東京ディズニーランドが印象に残っている。その後もたびたび日本の土を踏んだが、よもや日系の大手メーカーで働くことになるとは思いもしなかった。コンタクトレンズ大手のシードが台北に設立した子会社「シード台湾」で、2014年から総経理(社長)を務める郭育穂さん(45)。就任ほどなく会社を軌道に乗せ、いち早く黒字化を達成できたのは、コンタクトレンズ業界14年の営業経験と、消費者の気持ちを感じ取るセンス、そしてひとりの女性として常に前を向いて歩む持久力のおかげだった。

「台湾子会社の総経理に」声かかる

「次の来日では台湾の取引先を日本にあるシード鴻巣研究所(工場)の見学にお連れします。MADE IN NIPPONの高品質の現場をアピールしたいんです」。4月半ば、海外拠点長会議に出席するため訪れた東京・本郷のシード本社で、郭さんはそう目を輝かせた。シード台湾は個人経営のコンタクトレンズ販売店による売り上げが8割を占める。店のオーナーたちは生産現場を目の当たりにすることで、自分たちの売る商品が「100%日本製」だと自信を持てる。1店で10社以上のレンズを扱う店でシードのレンズを推してもらうため、工場見学は販売戦略上欠かせないのだ。

台湾はコンタクトレンズの激戦区で、内外の20を超えるメーカーがしのぎを削る。シードは2014年にシード台湾を設立し、市場参入した後発組。総経理の郭さんは、経営管理、経営計画の策定、新製品の販売、マーケティングまでを取り仕切っている。短大卒業後に就職した台湾のコンタクトレンズメーカーで営業として14年間キャリアを積み、セールス・マネジャーとして勤務していたころ、設立したばかりの子会社でトップに、とシードから声がかかった。

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総経理としてシード台湾を率いる郭育穂さん

台湾では一般に日本製品のイメージが高い。同程度の品質のレンズなら日本製は台湾製より2割ほど高額で、いわば高級ブランドだ。郭さん自身もたびたび日本を訪れる中、日本企業に対し「プロフェッショナル」「勤勉で誠実」「正確」「職人精神」「仕事を全うする」など好印象を抱いていた。とはいえ新規参入直後、日本製のイメージだけですぐ売り上げを獲得できるわけではないのはわかっていた。そこで、当初から狙いを絞ったのは個人店。オーナーがいて、きれいに店を保ち、プロの目利きで選んだレンズを顔の見える顧客に売るーー。台湾全土でコンタクトレンズを扱う約5500店のうち、およそ7割はそんな個人店だという。郭さんは前の職場からともに移籍した営業のベテランたちと、そんな個人店を余さず、地道に回った。

「最初は取り扱いを断られることもありました。当時は知られていないブランドでしたので」。だが、製品を導入してもらえれば、装用感の良さ、品質の確かさは着実に伝わる。14年の営業経験が生き、当初はゼロだった取扱店数は4年ほどで約700店まで増えた。総経理に就任した初年度から黒字も達成。シードの海外グループ会社としては初めてのことで、「最優秀海外子会社賞」も手にした。

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ファッションブランド「JILL STUART」とコラボしたレンズの発表会

美術に関心 ファッションを専攻

写真館を営む家に育った。臭豆腐(チョウドウフ)、胡椒餅(フーチャーピー)、蚵仔煎(オアチェー)、肉圓(バーワン)......。週末には家族で夜市のグルメに親しみ、歌仔戯(かざいぎ、宝塚歌劇の台湾版)を楽しんだ。子供のころから油絵、水彩、彫刻、陶器などの美術や、写真に対する関心をはぐくんだ。「自分の手を動かして目の前の風景を描くのが私にとっての心の癒しでした」。色彩と設計に関するセンスに自信があり、短大ではファッションデザインを専攻した。折しも90年代末の台湾では使い捨てタイプのコンタクトレンズが急成長しており、就職先は台湾資本のコンタクトレンズメーカーに決めた。

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プライベートでは絵を描くのが大好き

結婚したのは就職直前だった。友人の紹介で知り合い、4年間交際した夫は「規律正しく、すごくまじめな人」。2年後に長女、さらに2年後には長男が生まれた。現在は67歳の母を含めて5人家族で暮らす。「仕事が終わってから皆で食べる母の手料理が一番楽しみ」。台湾で人気がある三杯鶏(サンベイジー)、麻婆豆腐、しいたけ鶏がらスープなど母の得意料理は、多忙な日々を支える「心と体の癒やし」だ。

セールス・マネジャーとして順調にキャリアを築き、家庭生活とも両立していた郭さんが、シードへの転職を決めた理由は「前の会社ではやりたくてもできなかった仕事ができるから」だった。セールス・マネジャーは「会社が売りたい商品を売る」仕事。だが、本当にやりたかったのは、世の中のトレンドを見極めて販売戦略を取捨選択したり、市場動向を踏まえて人目を引くパッケージをデザインしたり、といった、自分らしいセンスを生かせる仕事だ。前の会社では、手を挙げても「女性は感情的になるからこれらの業務は向かない」などと男性上司から却下された。「そうではないことを絶対に証明してみせる」。総経理に就いてから、そんな思いにずっと背中を押されてきた。

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ディスプレーキットの完成度にも目配り

実際、シードの日本での広告キャラクターで女優の北川景子さんを起用したラッピングバスを走らせたり、SNSで新製品情報を拡散したり、といったマーケティングは自身が発案。主力商品「ピュア」などのディスプレーキットは、日本と同様のものを自らデザインし、台湾で制作した。日本から販促物を仕入れるよりコストを抑えることができる。こうした仕事は「新しい挑戦」だと感じることができた。転職を決める際も、シードの浦壁昌広社長は提案したさまざまなアイデアを尊重してくれて、経営理念を共有できると感じた。グローバルな社風に支えられ「本社から最大限の権限を与えられているので、自由に仕事をしていくことができます」。

MBAで財務・物流学ぶ

壁にぶつからなかったわけではない。経営者として黒字化は必達。営業一本やりで来たので売る力には自信があるが、会社全体の数字を見るのに慣れていない。「総経理として財務諸表をつぶさに点検することは絶対に必要と痛感しました」。18年に稼働した物流センターの在庫管理、人員配置から搬送機器のレイアウト・効率化といったロジスティクスの知識も足りなかった。そこで超多忙な毎日の合間を縫って、18年秋から台湾師範大学のエグゼクティブMBA(EMBA)課程で勉強を始めた。月に2回、土曜・日曜の朝9時から夕方まで、経営管理、マーケティング、サプライチェーン、ビッグデータの4科目をみっちり学ぶ。

実は転職前にもMBAを目指したことがあった。だがその時は落選。今回の合格には浦壁社長の推薦状を得たことも大きかった。論文がうまく仕上がれば来年6月には修士号を手にする。「学んだことを実務に結び付け、会社の成長に貢献したい」

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シード台湾のオフィスで

EMBA課程では予想外の収穫もあった。ランニングとの出会いだ。クラブ活動に誘われ、走る楽しさ、奥深さに目覚めた。現在は週に少なくとも3日、毎回5キロを走る。かつては階段を上っても息が上がるくらいの体力だったが、いまでは10キロの大会を完走するほどに。「1年後にはフルマラソンに挑戦する」と意気込む。

5年計画で夢を実現

当面の目標は今後5年以内に台湾のコンタクトレンズ業界でトップ8に入るブランドになり、年間売上高を1億5000万台湾ドル(約5億3000万円)に引き上げることだ。「どんなことでも5年単位で計画を立てて夢を実現してきました」。郭さんはそう言って表情を引き締めた。「『できそうだ』なんて思いません。常に『できる』としか思っていません。成功することしか考えていないんです」

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「5年計画で夢を実現してきた」と語る

シード台湾の総経理に就いた当初は「1日24時間で48時間分のことをこなしていた」。いまも、経営者として会社をけん引すること、EMBA課程で学ぶこと、そして妻として2人の子の母として笑顔の絶えない家庭を築くことーーと、バイタリティーあふれる日々が続く。すべてを手に入れる秘訣は、マラソンのように一歩一歩、目指すゴールに向けて着実に進む努力だ。「昼は仕事、夜は子育てと息もつけません。家族の理解と、自分に備わっている持久力あってこそ、できているのだと思います」

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