STORY 東京海上日動火災保険 vol.30

「一日も早く安心をお届けする」 3.11現地対策室で刻んだ使命

東京海上日動火災保険 東北損害サービス部 仙台損害サービス第二課
阿部 美重さん

東日本大震災から今年で10年。東京海上日動火災保険の東北損害サービス部(仙台市)で働く阿部美重さん(48)は、地震発生の瞬間から、同社の前例のない災害対応の最前線に立ち続けた。地元である東北が大きな被害を受け混乱が続くなか、被災した人々に向き合い、一日も早く安心を取り戻せるようにと。当時の記憶をたどりながら、あの日、心に刻み込んだ「お客様に安心をお届けする」という自分たちの使命を、次世代につないでいくと誓った。

私たちの出番

2011年3月11日、金曜日。阿部さんは昼休みに、仙台市内の百貨店へ。PTAの委員として、小学校の卒業を控えた長男の担任の先生に贈る記念品を用意する係になっていた。先生は大のラーメン好き。ペアのどんぶりセットを購入して職場に戻り、割れないように机の下に大事にしまった。3月は決算期。所属している火災新種損害サービス課では、火災保険や傷害保険といった自動車保険以外の事故・災害に関する保険金支払い手続きなどを扱う。保険代理店などを通じて日々連絡が入る事故への対応に加え、年度末の業務に追われていた。さらに週末には自宅の引っ越しを予定し、気忙しかった午後。突然の大きな揺れが襲った。

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阿部美重さんはリモートで取材に応じ、当時の状況を丁寧に振り返った

周りの同僚が「止めてー」と叫ぶほどの激しさ。「本当に揺れたんです。びっくりするくらい」。とっさに阿部さんは机の下にもぐり、割れ物のどんぶりを抱きかかえて地震が収まるまでの長い時間を待った。一瞬にしてオフィス内にあったものは散乱し、電気は消え、パソコンも電話もつながらない状態に。一体何が起こったのか、どうすればいいのか、皆、途方に暮れた。

ほどなく冷静さを取り戻した阿部さんの脳裏に、自分たちの出番だという思いが浮かんだ。「情報を集めて、被害に遭われたお客さまの対応を考えなければ」。けれどビルの自家発電機はなかなか作動せず、東京の本店とも連絡がつかない。しかもちょうど上司が外出中の出来事だった。同僚には小さい子どもをもつ後輩、高齢の家族がいる先輩がいる。阿部さんら中堅の社員が中心となって、まずはそれぞれ帰宅できるかどうか、帰れないメンバーはどうするかの確認に取り掛かった。津波の情報も断片的に入るなか、沿岸部に住むメンバーがそのままオフィスに泊まったり、近隣に住む同僚の家に身を寄せたりできるように段取りをつけていった。

一方、地震発生からまもなくオフィスに戻ってきた上司をはじめとする管理職が集まり、災害対策本部が立ち上げられた。パソコンなどの機器や、電話やメールなどの連絡手段も使えなかったが、地震の大きさから推測して前例のない規模の対応が始まることは明らかだった。土日のあいだには自家発電機が稼働し、保険金の支払い手続きや問い合わせに対応するため、災害対策室となる会議室に机やパソコンが用意された。もともと宮城県は地震が多く、それまでも何度も災害対策室を立ち上げて対応してきた。災害の規模に応じた体制を迅速に編成する経験はあったものの、あまりの規模にこれまでのやり方ではとても対応できないとして、準備が進められていった。

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当時、どのように災害対応に当たったか。社内資料として詳細に記録が残されている

震災当日、社員やスタッフの帰宅や宿泊先のめどがついたのは午後5時をまわったころ。阿部さん自身も夫と長男、同じ小学校に通う4年生の長女の安否がわからない状況のまま帰途についた。自宅まで徒歩で約2時間。信号も街灯も消えた暗い道をひたすら歩いて帰るのは「疲れたというより怖かった」。いつのまにか吹雪になり、足元には倒れた電柱から切れた電線が伸びていた。

家にたどり着き、ドアを開けると、夫と2人の子どもがそろっていつものように「おかえり」と阿部さんを出迎えた。引っ越しの段ボールの山のあちこちに、ありったけの懐中電灯をつけて。家族の無事の様子を確かめ、阿部さんはようやく大きく息をついた。

全社一丸の災害対応

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阿部さんは事故や災害の保険金支払い手続きを扱う損害サービス部門でキャリアを重ねてきた

災害が起きると、被害の連絡の受け付けから、被害状況の確認、保険金支払いの手続きまでを現地で一貫して対応するのが一般的だった。しかし今回の地震の規模では、各地の拠点が個々に対処するのは難しいと判断され、被害の連絡や保険金請求に関する問い合わせ、書類手続きなどを行うセンターを東京本店に集約。現地で被害状況を確認する「損害確認調査」のためのオフィスを被災拠点に設置した。全国から応援の社員が被災地入りし、損害確認調査などにあたる態勢が急ピッチで整えられた。

地震発生直後は、通信インフラが混乱し、代理店などからFAXで届く保険契約者の被害の連絡もそれほどの数ではなかった。発生から1週間たとうとするころ、これが瞬く間にピークを迎える。1パック500枚入りのA4コピー用紙を補充しても補充してもFAXの受信が止まらない。出力され続ける紙の山を目の当たりにし、阿部さんは未曽有の事故対応が始まったことをまざまざと感じた。

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全国から延べ約1万人の応援社員が東京・丸の内と仙台を結ぶバスで被災地入りした

当時、高速道路と新幹線が使えないなか、東京・丸の内にある本店からバスが何度も往復して、全国からの応援社員を被災地に運んだ。1~2週間で交代しながら、ピーク時には1000人を超える社員が仙台の「宮城地震対策室」をベースに活動。「損害サービス部門の社員だけでカバーできる規模ではなかったので、他部門の社員も派遣されてきた。みな被災地のお客様のためにと奮い立って集まっていた」(阿部さん)。補償金額などが定型化している個人向けの地震保険を応援社員、阿部さんらは個別の算定が必要な企業向けの対応と役割を分担。地震以外に日々発生しているケガや火災などの保険金支払い業務についても、対応を遅らせないという方針で、阿部さんらが対応に当たった。

保険の存在意義、自分たちの使命

損害確認調査のための移動手段だけでなく、宿泊や調査に必要な備品などの手配にも地域の事情に詳しい地元メンバーが奔走した。問い合わせなどの電話の件数もけた違いで、対策室内の情報共有や、東京の対策本部との連絡態勢も試行錯誤の連続。全社一体となった応援社員のサポートがありがたかった。

幸い家族や親族、自宅は大事に至らなかったが、夫と自分の出身地は沿岸部にあった。災害対応のなかで、すべてを失った被災者の声もたくさん耳にした。阿部さんは、混乱を極めたこの時期を振り返り、「人の役に立つ、何かの役に立てる居場所があることに感謝していた」と話す。

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思いを巡らせながら、日常を取り戻した仙台市内を歩く

そんな阿部さんの目に今も焼き付いている場面。4月に入ったころ。津波で大きな被害を受けた町から仙台まで、貴重なガソリンを使って、工場を経営する契約者の男性が訪ねてきた。地震の被害を補償してもらえないかという問い合わせを受け、阿部さんは契約内容を確認。けれど、どんなに探しても、地震を補償する契約は見当たらない。男性は「払ってもらえないんだな」と言って車に乗り込み、対策室を後にした。

わらにもすがる思いで遠方から訪ねてきたのに、お役に立てなかった――。力なく見送りながら、それでも立ち止まることはできなかった。同社の東北担当の役員が、被害物件の損害確認などについて「2カ月でめどをつける」と呼びかけていた。被災して、生活や事業の危機に直面している人々が一日でも早く安心を取り戻せるように。阿部さんはこのメッセージに自らを奮い立たせ、対応に走り続けた。保険が存在する意味、自分たちの使命は、「お客さまに安心をお届けすることだ」と心に刻み込んで。

100年前にも同じ思いで

震災から時がたち、人事異動などで当時の状況を知る身近な同僚も少なくなった。だからこそ、あのときにつかんだ自分たちの使命をきちんと伝えていかなくてはと阿部さんは感じている。大学卒業後にイベント会社に就職し、その後、専業主婦を経て東京海上日動に入社した。イベント会社は歴史が浅く、社員数も数十人規模。東京海上日動に入社した当初は会社の規模も明治にさかのぼる歴史も、前職とのギャップに戸惑った。「この会社の長い歴史を大切にしたいという一心でやっていた」。今は、歴史を守るだけではなく、バトンを渡す次世代へと目線を向ける。

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現在は自動車事故の損害サービスを担当する部署で、マネジメントの補佐にも携わる

現在、阿部さんは震災当時と同じ部で自動車事故の損害サービスを取り扱う。複雑な案件で弁護士などの専門家と連携したり、部下から相談を受けたり。組織をどう運営していくかを考える立場になり、改めて10年前の震災対応で学んだことを思い返している。

「当時、災害対策室のメンバーが週単位で入れ替わり、インフラなどの状況も目まぐるしく変わるなかで、いかにチーム一丸となって対応していくか。組織は生き物だなとつくづく感じた」。組織の状況をよく把握し、皆がモチベーションを持って働けるようにする。例えばいま阿部さんが心掛けているのは「いつも機嫌よくしている」ということだ。リーダーが笑顔でいると、チームのメンバーも素直に自分を出してくれる。パソコンの画面に、アニメの白雪姫に登場する機嫌のよい小人のキャラクターを表示させて、常に意識するようにしているという。

「メンバーが入れ替わり、組織のかたちが変わっても、皆が同じ思いで仕事ができるのは歴史がつないできたからこそではないか」。100年前にも同じ思いで仕事をした人がきっといた。阿部さんは時を超えて自分たちの使命を受け継いでいく。

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141年の歴史を守るだけでなく、次世代にいかにバトンを渡すかに思いをめぐらせる

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