STORY 積水ハウス vol.20

ESGを「自分ごと」に 強い使命感で気づきの機会を提供

積水ハウス ESG経営推進本部
信田 由加里さん

ESG(環境・社会・企業統治)に根差した経営が企業の成長と存続の最重要課題となった。経営者のみならず、一般の従業員にとっても他人ごとではなくなりつつある。積水ハウスESG経営推進本部の信田由加里さん(38)は、すべての従業員が「自分ごと」としてESGをとらえ、行動することを後押しするのが自身の役割だと考えている。ESGのSにあたる「社会貢献活動」に向けた取り組みのなかで、NPOなどの非営利団体で社会課題と真正面から向き合う人々との多くの出会いを通じて、自らもライフワークを見出し、仕事に強い使命感を抱くようになった。従業員に、さらには社外に向けても気づきとなるような体験の機会を提供し、SDGs(持続可能な開発目標)の理念を社会に広げたいと願っている。

15年で約350団体に4億円を寄付

「積水ハウスマッチングプログラム」。サステナブルな社会を築くために活動するNPO法人などの非営利団体を支援する積水ハウスの寄付制度だ。従業員のうち約6800人(2021年1月時点)が制度の「会員」となり、一口月額100円から希望額を積み立てる。このお金で「こども基金」「環境基金」などの基金を運営し、会社側が同額の助成金を足してSDGsにつながる団体に寄付する仕組みだ。2006年のスタート以来、15年間で延べ350を超える団体を対象に実に4億円を超える資金を助成している。

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信田由加里さんは積水ハウスESG経営推進本部で社会貢献活動業務に携わる

同制度の運営事務局を担うのがESG経営推進本部だ。信田さんは同本部の前身となるCSR部の時代から、従業員から選ばれた会員代表で構成される「積水ハウスマッチングプログラム理事会」の議事設定や、社内外への広報、会員参加の仕掛けづくり、助成先団体との面談で各地を飛び回るなど、主担当としてこの事業に携わっている。「マッチングプログラムの仕事にはどっぷり浸っている感じです。CSR(企業の社会的責任)は自分の中の『ぶれない軸』になっています」

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例えばこども基金では、バングラディシュやインドの子どもたちに文具や絵本を届ける活動をしている団体や、子育て中のママが国内の中学・高校を訪れて命の大切さを教える取り組みを手掛けるNPOを助成。こうした事業は、男性従業員全員が1カ月の育児休業を取得する制度(イクメン休業制度)など、同社が続けてきた次世代育成・両立支援やダイバーシティ促進の仕組みづくりと表裏一体をなす。

「女性営業を募集します」

信田さんが積水ハウスに入社したのは2005年。母校の恩師に「これからの女性は自分自身で稼ぎ、自立していく時代。自由にいろいろな仕事をできる人間になりなさい」との指導を受け、総合職として働ける会社を探した。街に出て様々な人々の声を聞き取る社会調査の面白さをゼミの一環で知ったこともあり、人と触れ合う営業の仕事を志した。はっきりと希望の業界を思い描いていたわけではなかったが、「女性営業を募集します」と掲げた積水ハウスの募集広告に心ひかれた。「営業ができるんだ!」と。

入社後の配属は大阪府高槻・茨木エリアを担当する大阪北支店の高槻営業所だった。仕事は鉄骨戸建住宅の営業。入社当時は失敗の連続だった。成果がないままに過ごしていたある日のこと、同社が開発中の分譲地について問い合わせる顧客の電話を職場でたまたま取ったのが人生初の成約につながった。「お客様のために自分は何ができるのか」。上司や先輩たちからの万全なサポートのもと、入社した年の7月に無事成約。多くの人たちの手助けを得ながらの契約業務を通じ、周りへの深い感謝と、仕事は一人ではできないことを強く実感した。

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高槻営業所時代の上司・先輩と(右端が本人)

住宅業界では女性営業がまだ少ない時代だったが、職場には頼れるロールモデルとなる先輩女性営業が何人か在籍していた。「てきぱきと仕事をこなしている姿はとても格好よく、早く自分もああいう風になりたい」。そう強く思った。信田さんの代は、女性営業を積極的に採用しようと会社が動き出した年でもあった。「服装はどうしたらいい?」「営業中にメイクが取れたときどうしていますか?」「男性営業なら夏場に汗だくでも熱心さをアピールできるけど、女性はね......」。男性従業員にはない悩みも臆せず聞くことができた。

営業として1年半を過ごした2006年冬、広報部への異動が決まった。初めて大阪・梅田の本社での勤務。業務はメディアの取材などに対応する対外広報だ。とにかく足を使って動き回る営業の仕事から、次々に飛んでくるボールを正確に素早く打ち返す仕事へ。180度の転換だ。毎日のように書くプレスリリースの原稿も、先輩から「分かりにくい」と赤字添削されることが続いた。自身のキャリア形成の先行きを見据える余裕はまだなかった。

「会社の魅力」を伝えるために

広報は社外だけでなく社内からも、多種多様な問い合わせが日々舞い込む。中には「そんなこと広報に聞かれても」という内容もあった。そういう相談は「広報部の○○さんなら知っているから」などと個人を指名してくることが多い。自分にはそんな"指名"がないのはつらかった。この職場で役に立つにはどうしたらいいんだろう......。がむしゃらに毎日仕事をするなかで経験も積み、人脈もでき、度胸もついた。

広報の仕事は「家を直接売るわけではないが、会社の魅力を伝える仕事。そういう意味で、今思うと営業との共通点はたくさんあったと思います」。メディアに、世の中に、世界に、積水ハウスという会社の魅力をいかに伝えていくのか。そんな姿勢が次の仕事で花開く。

2011年、CSR室に異動。2カ月後に東日本大震災が発災した。積水ハウスがCSR室を立ち上げたのは2005年。当初はCSR室が発信した寄付やボランティア活動が中心だったが、震災を機に「グループ全体が1日も早い復旧・復興に向けて総力を挙げて支援に取り組むことはもとより、お客様のみならず、地域社会の要請に応えるべく、住宅メーカーとしての社会的責任をより強く意識するようになった」

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関西の企業が連携して仕立てた相乗りバスで被災地に入り、多くの支援活動を経験

発災後、職場の先輩たちは動き回り、被災地にいち早く駆け付けた。その背中を見て「自分はどうする? 何をしたらいい?」と考えを巡らせた。ヒントとなったのは、関西に拠点を置く企業のCSR担当者やNPO団体、行政などが隔月で集まる横のつながりだった。他社との意見交換を重ね、被災地の子どもたちを対象としたイベントも共同で実施。社内でボランティアバスを仕立て、従業員有志でたびたび現地に入った。「震災を機に、従業員が社会課題を身近なことだととらえる機運が高まったし、マッチングプログラムの会員も増えるきっかけになった」。新入社員が被災地のニーズに沿った支援を行うとともに「企業理念」や「行動規範」に基づく考え方・行動を身に付け、住宅事業の意義について理解を深めることを目的とした「被災地支援活動」を2012年から始めたのも、こうした活動の延長線上にある。

ESG経営を目指す意識改革の場をつくる

ESGの仕事は前例にとらわれずに新たな価値を「生み出す仕事」だ。「企画して、(周囲を)巻き込んで、どんどん発信していく」。信田さんはESGの仕事をこう表現する。社内の協力を取り付けるのに、広報で培った人脈が役に立った。ESGの取り組みをまとめて発行する年次報告書「サステナビリティレポート」の編集作業にも、広報で積み上げた知識が役立った。とりわけ、寄付制度や災害ボランティアを通じ、社会課題を「自分ごと」だととらえる従業員が増えつつある、という手ごたえを得たのが大きい。

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営業・広報・CSR時代に培った社内の人脈は今の仕事の力になっている


CSR室は部を経て2020年の組織変更で「ESG経営推進本部」となり、積水ハウスは「『わが家』を世界一 幸せな場所にする」というグローバルビジョンのもと、「ESG経営のリーディングカンパニー」を掲げてギアをトップに入れた。そのために本部がまず着手したのが、全従業員を対象とした「ESG対話」だ。「事業を通して従業員、お客様、社会が幸せになるにはどうすればよいのか、ESGを推進することでどんな価値を生み出せるのか」をテーマに、少人数での会話を通じてESGを「自分ごと」としていく。営業本部などの本部長、支店長ら幹部クラスのほか、関係会社までを含めてすでに二十数回を本部主導で企画した。ところが、信田さんらが思っている以上に、現場はESGを「自分ごと」として消化していた。積年の成果だろう。支店長は社会とのつながりを大いに意識しており、本部側が「対話」から学ぶことの方が多かった。

信田さんは今後、これまで長く中心的にかかわってきたCSRの仕事を通じ、子どもたちや環境に関する社会課題に全従業員が向き合える機会をさらに広げたいと考えている。そのためには住まいづくりという本業を通じてだけでなく、本業以外の課題へ向けた視点からの貢献もサステナビリティの「両輪」として問われる。その象徴として大事にしてきたのが「新・里山」の活動だ。

ライフワークとなった「新・里山」

「新・里山」とは本社が入居する梅田スカイビルの北側、約8000平方メートルの敷地に里山の自然を具現化する活動で、2006年にオープンした。菜園、棚田、竹林、鎮守の森、野鳥が集う水辺。そしてオオシマザクラ、ミズアオイなど年間を通じて折々に趣を変える樹木、草花による雑木林。自由に出入りできる小道を散策するのは地元住民、そして界隈のオフィスワーカーの楽しみ、心の癒しとなっている。

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「新・里山」には今後も関わり続けたいと考えている

信田さんは06年に広報に異動後、最初の仕事としてこの「新・里山」の取材対応を手掛けた。地元の幼稚園の園児、小学校の児童を招いてサツマイモの植え付けや収穫、田んぼでの田植えや草取り、稲刈り、脱穀などの農作業体験の機会を提供。都会の真ん中で育った子どもたちが、生き物たちの生態に目を輝かせながら自然と触れ合う様子をメディアが紹介。その後、季節の風物詩として毎年報道され、恒例のイベントとして定着していく。

11年にCSR室に移ってからは、関連部局や造園・管理などの専門家で作る「里山活動委員会」のメンバーとして里山の様々な運用・活用に知恵を絞ってきた。生息する動植物の調査や管理方法など議題は尽きない。15年前に比べ緑は増え、生き物も多彩になった。絶滅危惧種のミゾゴイや生態系の頂点に立つハイタカが、豊富なエサを求めて飛来する。「実はミミズやダンゴムシなどの昆虫は今も苦手なんですけれど(笑)、この場は守らなければ、という私なりの使命感を感じています」。里山の自然に触れた体験は、訪れる子どもたちの心の中にも何らかの形で残り続ける。自然と人間がつながっていることを発信し続けたいと願っている。

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都会の真ん中での田植えは毎年の風物詩になった

育まれた使命感

この15年間で身についたのは「私がやるんだ」という使命感だ。「新・里山」もそうだし、地域貢献の仕組みづくりもそう。とりわけ、マッチングプログラムで接点ができたNPO団体には影響を受けた。世の中にある多種多様な社会課題と正面から向き合い、何とかしないと、と動いている人たちと接するにつれ、「仕事を『こなしているだけ』の会社員ではダメだ、この人たちを通じて社会課題を解決していくため、企業として私がいる部署が動かないと」という思いが膨らんだ。

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カードゲームを活用した社内でのSDGs研修風景

SDGsという言葉が浸透したこともあり、従業員にもより広い視野で社会に目を向けてもらおうと「2030SDGs」というカードゲームのファシリテーターの資格も取得。要望のあった事業所に赴き、社内研修を繰り返し開催した。最近はNPO団体や社会課題を身近に感じる若い世代の従業員も増えた。こうした追い風を受け、ESGに「気づき」を得てもらうきっかけづくりをさらに進めるつもりだ。

顧客から社内、そして社会へ――。キャリアを重ねるにつれて「伝える」相手が広がっていった。マッチングプログラムや被災地、「新・里山」と、自身も行動を積み上げ、その経験をESG、SDGsに絡めて大勢の前で話す機会も増えた。「人前で話すのは苦手ですが、実体験は話さずにはいられない」。体験し、共感したことや自分の腑に落ちたことを発信していくことが大事だと思う。それが物事を「自分ごと」として捉えるということだ。実体験を話すと相手の表情も変わる。「体験すれば、人って話したくなるものなのだと分かりました」。そういう人が増えれば、新たな考えが社会に広まる。皆がそういう体験をできる場や機会を定期的に仕立てていくのが自分の役割。今はそう考えている。

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   日課となった散歩の途中で

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