STORY 積水ハウス vol.19

多様性がつくる従業員の「幸せ」、人事・法務の経験生かして推進

積水ハウス ESG経営推進本部 ダイバーシティ推進部長
山田 実和さん

今年2月、山田実和さん(52)は積水ハウスのダイバーシティ推進部長に就いた。入社時は漠然と寿退社を考える一般職だったが、分譲マンションの営業で頭角を現す。周囲に背中を押されて総合職に職種転換した後は、人事、法務と本社部門でキャリアを積んだ。会社が「人材サステナビリティ」を宣言するなか、社員の誰もが自分らしさを生かして幸せに働ける職場づくりを先導。ダイバーシティ&インクルージョンを推し進めることが、顧客満足、ひいては社会の発展に結びつくと確信している。

どんな人も自分らしさを生かして働ける職場を

ダイバーシティ推進部の役目は、女性の活躍はもちろんのこと、障がい者や性的少数者(LGBTQ)、シニア、外国人など多様な人材がそれぞれに活躍できる環境づくりを「戦略的に」推し進めていくことだ。「積極果敢に施策を講じ、経営戦略としてスピーディーに進めることが大切なので、やることも多いし、ものすごく忙しい」。新任部長の山田さんにとって、この9カ月はあっという間に過ぎた。性別や国籍など"見える"多様性にとどまらず、考え方や価値観の違いなど目に見えない多様性も生かし、社員一人ひとりに合った「幸せ」を実現する。そのために育児や介護、治療の両立支援策や制度を整え、働き方改革を主導。そうした制度を「使える」風土をつくるため、さまざまな研修を通じて社内の意識改革を促す――。もともとかじ取りが難しい職務に新型コロナの感染拡大が輪をかける。

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山田実和さんは2月から積水ハウスのダイバーシティ推進部長に就いた

6月からはESG経営推進本部の社会性向上部会の部会長としての仕事も加わった。ダイバーシティを含めて積水ハウス全体のソーシャル、つまり社会性の拡充を担う重責だ。部の陣容は女性6人、男性2人と少数精鋭。部員も自身も多忙な日常が続く。在宅勤務でコミュニケーション不足も課題だ。「全てが初めての経験で、そのとき大変だと思っていても、次に来ることがまた輪をかけて大変で。だんだん大変だったことを忘れていくんですね」と苦笑い。うちの部員は本当に幸せなんだろうか、と自問することもある。

グローバルビジョンに「『わが家』を世界一 幸せな場所にする」とある通り、「幸せ」は積水ハウスがキーワードとして追い求める概念だ。「従業員にとって世界一幸せな会社」を目指すことで、顧客や取引先などすべての利害関係者に「幸せ」が波及する。その道筋をつけるために日々アイデアを絞り、戦略の実行に駆け回るのが山田さんの役割だ。

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ダイバーシティ推進部メンバーとの情報交換は朝のWEBミーティングやSNSで

一般事務職として入社し部長秘書に

大学を卒業して積水ハウスに入社したのは1990年。建設関連の仕事をしていた父から「女性が活躍できる会社」だと聞いたのがきっかけの一つだ。ただ、自身は仕事に燃えて自己実現、というタイプではなかった。入社時は一般事務職として庶務、部長秘書として働き始めた。円満退職、寿退社を漠然と考えており、それほど長く勤めるつもりもなかった。ただ、社内に女性社員の数は多くはないが、やりたい仕事にチャレンジできる土壌はその頃からあった。そこで事務職の仕事にも慣れてきた時期、上司に勧められ、営業の仕事にも並行して取り組むようになった。90年代も後半に入ったころだった。

モデルルームでの接客、物件の説明。男性社員がいないときはそのまま契約業務まで担当することも。「女性のお客様や単身の方はむしろリラックスしていただけたようです。スーツ姿の営業マンに来られるよりも和やかで良かった、とか」。そんな声を事後に耳にして、営業にも多様なメンバーがそろっていることが大切なのだと悟った。

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マンションを購入したオーナー夫妻との思い出の一枚(兵庫県西宮市)

オン・オフともに社会人生活が充実していたころ、後の人生を左右する出会いがあった。銀行の不動産部に出向していた積水ハウスの先輩から「銀行にいい人いるんだけど、会ってみない?」「ぜひお願いします!」。そのご縁で2002年、34歳で結婚。寿退社の文字が脳裏をよぎったが、夫の反応は「なんで辞めるの? 仕事イヤなの?」。確かによく考えると、辞める理由は特にない。子どもができるとか何か、そういうタイミングまで続けてみようかーー。「挑戦してダメだったら辞めればいい。辞めても夫がいるから大丈夫」。そんな安心感は、前向きに仕事に取り組むのにもプラスに働いた。

総合職になることを決意

新婚旅行から戻り、山田姓になって初めて出社した日は、今思えば転機だった。「神戸に伊藤さんという営業のすごい人がいるから、ちょっと修行に行ってみたら?」。上司の勧めで1カ月間、住宅営業の極意を学ぶことになった。「伊藤さん」とは同社ダイバーシティ推進担当の執行役員、伊藤みどりさんのことだ。この当時は神戸支店・山の街展示場で店長として戸建て住宅の営業をしており、有能さで知られていた。その伊藤さんのもとで1カ月、カバン持ちとして一挙手一投足を学ぶ。「昼食もそこそこに営業車を走らせ、次々と電話を受けて。契約前からお引渡し後までの様々なお客様に寄り添いながら、いつもいつも忙しくしている姿を見て、私にはできない、無理だと実は思いました」

圧倒されたまま自身の職場に戻り、そこで冷静に考えた。伊藤さんも最初からすごいわけではない。できない時期があったはずだ。営業は新入社員もやっている。それなら私にできないはずもない。「みな、役割を与えられたらできると思う。そういうことは実感として感じています」。キャリアアップ・チャレンジ制度もない時代だったが、上司の協力も得て、総合職に転換することを決意した。これからは事務職との"兼任"ではないから甘えは許されない。目標を立て、その実現に向けてやっていくんだ。胸の内にそんな覚悟が生まれた。

営業の仕事に邁進していた05年、異動の内示があった。人事部人材開発室。人権推進室の兼務がつき、セクシュアルハラスメント、パワーハラスメントの相談窓口業務や、ハラスメント防止に向けた社内研修に従事することになった。「営業が面白くなっていたので未練もありましたが、入社したころから総務や人事など"会社全体が見える"部署がいいと思ってもいましたので決断しました」。中堅で総合職の女性社員が少なかった当時、適任者として白羽の矢が立った。「営業ではお客様の役に立つ。今度は従業員の役に立つ大事な仕事で、私がやるべき、やりたい仕事だと思いました」

キャリア研修とハラスメント相談を同時に担当

異動すると、期待通りに内容の濃い毎日が始まった。人材開発室ではキャリアアップの研修などを担当。個々の社員がさらにプラスのモチベーションを積み上げられるかを考え、実践した。一方のハラスメント対応では、悩みを抱えた社員の話に耳を傾け、元のように安心して働くことができるようになるための支援に取り組む。大変な仕事だが、人材開発と兼務だったことで「自分の中ではすごくバランスがとれていた」。期間としては1年半ほどではあったが、多方面に目配りをする視点という、現在の仕事にもつながる糧を得た。その後、人権推進室を改編した法務部ヒューマンリレーション(HR)室に異動。人権担当としてハラスメントの相談窓口業務が主務となった。

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「部落解放・人権大学講座」で共に学んだ異業種の仲間たちとの恒例の懇親会(前列右から4人目が山田さん)

HR室では13年間を過ごした。2万人を超える社員がいれば相談件数も多い。「話を聞いてもらってよかった」「楽になった」。感謝されるためにやるわけではないが、役に立てている実感が強くあった。相談者に対して適切な対応ができるようにと、産業カウンセラーやキャリアコンサルティングを学び、資格も取得した。そのカウンセリングスキルを生かし、新たな研修を立ち上げるなどの相乗効果も。

この時期、社外の人脈も広がった。他企業や行政の人権担当者との勉強会での学びがあり、資格取得を目指して共に学んだカウンセラー仲間のネットワークもある。とりわけ同社が80年代から真摯に取り組んできた人権問題では、大阪同和・人権問題企業連絡会などへの参加を通じて現在もつながりが継続。現任の社会性向上部会の活動にも有形無形に役立っている。

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ESG経営推進本部のメンバーとも積極的に意見を交わす

「幸せ度」を見える化してより良い職場にしていきたい

人事部でのキャリア開発の仕事、法務部での人権担当の業務。「人」をキーワードに社内の問題・課題に取り組んできた。ダイバーシティ推進部長の前任はかつて営業を学んだ伊藤みどりさんだ。女性社員は結婚退職するのが普通だという思い込みがあった入社当初。社内ではマイノリティーだと感じながらも女性総合職として活躍できた体験......。自身の仕事は常にダイバーシティの重要性を意識する日々だった。

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ダイバーシティは女性活躍だけにとどまらない。HR室の人権担当だった14年、LGBTQに関する取り組みも始めた。当時の企業では先進的な挑戦だ。それから6年。LGBTQに対する社会のとらえ方は徐々に変わり始めている。同社は昨年、事実婚・同性パートナー人事登録制度を導入した。実効性のある制度にするための取り組みの一つとして、今年作成したオリジナルのアライ・ステッカー(=写真)も山田さんならではの発案だ。「LGBTQの人たちの活動を支持し、支援している」ことを表明するもので、研修などで所定の知識を体得した人が使える。「LGBTQフレンドリーな企業になって社外に発信していきたい」

ダイバーシティ、社会性向上を推進する立場で現在、取り組んでいるのが「幸せ度調査」だ。幸福学研究の第一人者、慶応義塾大学の前野隆司教授と連携し、グループの2万7000人を対象に「幸せ度診断」を実施する。従業員の幸せと職場の幸せの相関を分析する調査は日本企業で初の取り組みとなる。結果の分析・フィードバックを通じて職場での対話や、個々の幸福感を高める風土づくりに役立てる。「自分と職場の"幸せ"を見える化して、コミュニケーションを促し、イノベーションを実現する職場を目指す試みです」

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講師の初瀬勇輔さんによるダイバーシティ交流会 障がいのある当事者が主体的に企画・運営

調査は個人の心や健康、環境、地位など、多面的な幸せを測って数値化したり、組織のはたらく人の幸せ、不幸せの要因を具体的に把握したりできるよう工夫されている。背景にあるのは、人材を大事にして従業員の満足を高めることが、結果として企業価値の向上につながるというウェルビーイングの発想だ。「会社も真剣に従業員の幸せの実現を考えている、というメッセージが伝わるといい」。山田さんはそう考えている。

調査で興味深いのは、幸せと不幸せは二律背反ではない、という考え方だ。「たとえば、生き生きとやりがいを持って仕事ができていてすごく幸せだけど、半面、オーバーワークでへとへとでちょっと不幸せな部分を感じている人がいる」。その一方でハラスメントも嫌なことをも別にないが、特に幸せとも感じていないという人もいるだろう。個人の、組織の「幸せ要因」を増やしていくためにどうしたらいいか。男性従業員全員が1カ月の育児休業を取得する「イクメン休業」などの既存の施策とどのように関連付けて活用するのか。調査結果の活かし方に日々考えをめぐらせている。

人とつながることを何より大切に

自身は「人とつながること」が幸せをもたらす要因と考え、大事にしている。カウンセラーの集まり、人権担当のときの仲間、営業時代の同僚から、茶道や華道の稽古の友達、好きな離島への旅で知り合った人たちまで。「いろいろなところにいてそれぞれ違う。そんな緩やかなつながりがリフレッシュになったり、新たな学びや気づきとなったり。これからもつながりを大事にしていきたい」。部長になって多忙を極め、コロナ禍の最中だった5月に父を亡くした。単身赴任が多い父だったが、たまたま進学先の大学が赴任地と近く、就職を経て結婚までは父娘ふたりで暮らした。総合職転換の際も背中も押してくれた。最近、本棚から取り出した父の蔵書に傍線が引かれたページを見つけた。一つひとつが私へのメッセージのような気がする。

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実家近くの三重県津市で、父と

「期待されると頑張りたくなるし、職場に女性が少ない分、自分にしかできない仕事がある。求められたらそれに応えてやってみよう、という気持ちで仕事をしてきました」。少し背伸びをしなければできないような業務を振られたからこそ、やってみたらできたという経験を得た。一般職と総合職という区分けで「あえて総合職を選択する」のは難しかったが、仕事の幅を広げるためにも総合職を目指した方がいいと周囲が勧めてくれたから決断できた。だから「とりあえずやってみる、チャレンジしてみる」機会が大事と考え、続く世代に対し、そんな機会と役割をつくっていきたいと考えている。

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誰もが働きやすい職場環境づくりに人権の経験を生かして取り組みたい

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