STORY 国際石油開発帝石 vol.2

技術職から人事部門へ、転じて分かった会社の動かし方

国際石油開発帝石 人材開発グループ マネージャー
大竹 真由さん

国際石油開発帝石(INPEX)の大竹真由さん(46)は大学で資源工学を専攻し、石油・天然ガス開発を手掛ける同社にはエンジニアとして入社した。まだ「リケジョ」という言葉はなかったが、探鉱の現場での仕事にはダイナミックな面白さを感じた。入社2年目に結婚してからは、3人の子供を育てながらの忙しい日々。5年前に人事部門の仕事に移った際はエンジニアの仕事をやり残した悔しさも抱えたが、職種が大きく変わったことで「会社とは何か」「仕事とは何か」を俯瞰する視点を手に入れた。コロナ禍で大きく変わる会社の人材育成を主導する現在の業務に充実感を覚えている。

対コロナ、わずか2日半でオンライン研修を整備

「人事の仕事をするとは自分も周囲も思っていなかったし、実はけっこう不憫(ふびん)がられるんですよ(笑い)。『技術に戻って来いよ』って。でも、ここでの仕事は、会社全体に影響を与えることができるような気がしています」――。

新型コロナウイルスによる感染症が国内で広がり始めた3月。大竹さんが所属する総務本部人事ユニットでは、4月入社の新入社員55人を迎える準備が佳境を迎えていた。入社式、懇親会、そしてマネージャーを務める人材開発グループの本業である研修プログラム。当初は式の出席者を絞り、懇親会も少人数のグループに分けるなどしてリアルで実施する計画だった。ところがコロナ禍が刻一刻と深刻化。感染リスクを避けるため3月最終週に急遽方針を転換し、研修についても、会社として未経験だったオンライン研修の仕組みを整えた。わずか2日半の突貫作業だった。

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大竹真由さんは人事部門で研修を担当するマネージャー

入社関連の一連のイベントは細かなto doリストを作り、長い時間をかけて準備してきた。それがいきなりひっくり返った。「何かを変えるのは大変、という考えが定着していたのに、あ、できちゃうんだなという驚きがありました」と振り返る。会社という組織において、人事部門は前例を重視する職場が多いが、今回、人材開発グループのメンバーは大変な作業を楽しんでやってくれた。前任者の仕事をただたどるのではなく、新しいものを作っていくのは面白い。みんなそういう仕事をやりたいんだ、と実感した。グループを引っ張るマネージャーが人事部門の「異分子」だったことも大きく影響したはずだ。

エンジニアとして地球を相手に仕事

大竹さんは1999年、帝国石油(当時)にエンジニアとして入社した。見えない地中深くまで井戸を掘り、油の層を探す。計算したり、計画したり、データを分析したり。掘削の現場に何日も張り付くこともある。地球が相手のスケールの大きな仕事だ。

早稲田大学理工学部(当時)で資源工学を専攻した。素材、リサイクル、水処理などさまざまな研究分野があるが、中でも興味をひかれたのが石油だ。インターンとして籍を置いた石油開発会社で印象的な場面に立ち会ったことが大きい。「ここに油がある」「いや、層はあるが、入っているのは水だな」――。地中にある石油の層を探る手順「検層(けんそう)」の解析評価中のことだ。紙にプリントしたデータを囲んで社員たちがわいわい、がやがやと議論している場に居合わせた。映画でよくある、井戸を掘ると黒い油が噴き出す場面は、現実にはやってはいけない大事故。実際は医療に使うX線や超音波のような機器を地中に下ろし、油が噴き出ないように慎重に検査をしていく。そのデータが上がってきた場面だったのだが、みな少年のように目を輝かせて盛り上がっている。それまで「仕事」というものに抱いていたイメージが覆った。「ああ、なんかきっと楽しいんだろうな」

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エンジニアの頃に関わったプラント(新潟県長岡市南長岡ガス田 長岡鉱場)

当時は超がつく就職氷河期。加えて石油業界には男性社会を地で行く体質が残り、そもそも総合職の女性をエンジニアとして採用する会社が少なかった。「そんな中で『採る』と言ってくれたのが唯一、帝国石油でした」。新潟鉱業所開発室に配属され、エンジニアとしての日々が始まった。

入社した1999年は男女雇用機会均等法が改正され、女性の夜勤が解禁された年。女性が男性と同じように働く環境が整備されつつあった。男子学生が多い理系学部出身で、もとより男性職場で働くことにためらいはない。ところが「女性に夜勤はちょっと」「あの現場は女子トイレがないので」などと会社から難色を示される。「同期の男性は夜勤の研修をやっているのに、ダメだ、ダメだとずっと言われて」。前例のない女性エンジニアに何かあったら困るという会社の及び腰。渋る会社にしぶとく食い下がり、「夜勤OK」を勝ち取った。

ワンオペ育児と仕事の完成度の狭間で

入社2年目には同僚と結婚。6年で3人の子供を出産し、仕事と子育ての両立に追われた。本来、技術職は仕事好きが高じてサービス残業もいとわない人が多い。しかし小さな子供を抱え、夫は単身赴任という自分には、深夜までの残業は不可能だ。「ワンオペ育児なんて言葉はまだありませんでしたが、いかに時間内で仕事を終わらせるかばかりを考えていました」。残業してたっぷり時間を使って完成度を上げていく男性技術者の仕事と、8時間で終わらせた自分の仕事。結果を同列で比べるのはフェアではない。「時間をかければ結果なんて出る。ずるい、とその頃は思っていましたね」

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現在は娘たちも成長して子育てはぐっとラクに(新潟県長岡市で)

定時退社をしていても、仕事は期日までに7~8割の完成度に高めることができた。ところがそれを100%に持っていこうとすると、それまでと同じくらい、つまり倍の時間がかかる。技術職にはそんなことがよくある。100%を目指すのは単に美学の世界、自己満足の世界ではないのか。大事な時間を有効に使うには、7~8割の完成度で良しとするべきで、会社の求めているのもむしろこっちではないのか――。漠然とそう考えて、仕事を切り抜けてきた経験が、後に役に立つことになる。

現場からコーポレート部門へ転身

5年前に転機が訪れた。エンジニアの仕事を離れ、技術部門の採用・育成や人事を手掛ける部署に異動したのだ。地球相手の探鉱から人間相手の人事部門へ、180度の転換だった。2年間の予定だったが4年に伸び、さらに昨年6月からは全社を担当する総務本部の人事ユニット勤務に。"技術屋"の閉じた職場では接点がなかった事務系の社員と日常的に接するようになった。同じ会社なのに、人も職場も雰囲気が全く違う。「戸惑ったというか、異文化に触れたような驚きがありました」。周囲にとっては大竹さんこそが異分子だったろう。

「1年前に研修を全社的に担当するようになった時、大きく仕組みを変えました」。石油開発2社の統合で同社が発足してから10年以上が過ぎ、昇格の際に受ける研修など育成体系にちぐはぐな部分が出てきていた。「なんでこうなっているの? と聞くと、そう言われても簡単には変えられないんですよ、みたいに返されて。それだったらイチから作り直した方がやりやすくないですか、という感じで結構大ナタを振るいました」。ゼネラルマネージャークラスの研修を始めたり、全体にeラーニングを採り入れたり。シニアのみに実施していたキャリア研修を、30歳と40歳の中堅どころにも拡大した。

冒険心をくすぐられる探鉱に携わる石油開発会社の技術職は、仕事との向き合い方が普通の会社員とは異なる。「ロマンがあるから、本当に仕事好きな人が多い。仕事に誇りを持つようになるんです」。その結果、社内での昇任・昇格にはさほど関心を持たず、現場での仕事を突き詰めたい、という動機を優先する人が多い。大竹さんもそんな気風の現場で育ってきた。お堅い、前例重視の職場とは本来、水と油だ。だがそんな技術屋の気質が人事で生きた。

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仕事をする上での信条は「なんとかなる」

「前例にないことをやるのに私は何の抵抗もない。前例を否定するつもりは全くありませんが、社会が変化している分、変わらないと遅れていくという危機感がある」。変わり続けなければいけないという感覚は、技術系の人間の方が馴染み深いものかもしれない。経験則の積み重ねがあると悪い結果が予測できてしまい、リスクを避けようとしてしまう。しかし知らなければ、なんとかなるんじゃないかと思う。「石油開発の現場と違って、一つ間違ったら大事故につながりかねないというわけでもないので。メールの宛先を間違えたり、失礼があることを心配したりするより、将来に影響が及ぶ重要なことに力を割いた方がいいと考えています」

できるだけ回り道をしてほしい

育成という仕事の成果は、歳月を経ないと見えてこない。それなのに、いろいろな人から意見される仕事だ。ただ、新しいことを始めて何度も説明会を開いてアピールしたことで社内的な注目度が上がり、「育成とは大事なものだ」という社内の認識は、以前よりは強まったと感じている。

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大竹さんに続く女性エンジニアの入社も増えている

最近の新入社員を見ていると、何をしたらいいのか分からない状態、先が見えないストレスに極度に弱いのではないかと感じる。「学校の勉強は与えられた課題をきちんとやればいい点数が取れて評価されるけれど、仕事は違いますよね」。最短ルートで効率的に目的に達することを教えられ、勝ち抜いてきた人が若い世代には多い。しかし、やり方が決まっているものをこなすのではなく、課題を見つけ、決まっていないものを乗り越えるのが仕事。そうしたスキルを体得するには失敗や回り道が必要だ。かつての自分は、先輩社員から「とりあえずこれやっといて」と仕事をポーンと放られ、試行錯誤していた。いやおうなしに回り道していたのだ。だからこそ、時間内に終わらせなければならなかった子育て時代は、試行錯誤の余地がなく張りつめていた。

そんなスキルをどうしたら身につけてもらえるか。研修担当として手をかけているのはそこだ。今の研修は型から入り、会社がきちんとサポートし、励まして育てる。やったことのない仕事でも折れないようにとの配慮からだ。そうやって仕事を覚えた後に自分の意思で回り道をしてくれればと思う。苦労した方が面白い。完成させたときの充実感がある。最短距離を走ることが身に着いた今の若い世代は、仕事を面白いと感じていないのではないか。そう心配もしている。

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古巣を離れて会社の考え方も理解できるようになった

「会社は現場が分からない」と不満を言うだけではダメ

かつての職場である技術部門と、現在働く管理部門。両者は会社に影響を与えられる範囲が違う、と考えるようになった。技術職の仕事はそれぞれのプロジェクトに影響力が及ぶが、そのプロジェクトそのものが方向転換したり、撤退したりするのは往々にして「会社の都合」だ。技術職がいくらがんばっても、ダメになるときはダメになる。「技術屋はそういうところで『会社は現場を分かってくれない』という不信感を抱きがちです」

だが、人事部門で仕事をしてみて、技術職の側に働きかける努力が足りないこともよく見えてきた。「もっとちゃんと説明すれば分かるのになあ、と思う。これは技術部門の中にいたら見えなかった気がしますね」。会社にはしっかりコミュニケーションを取ることで解決することがもっとある。対極的な職場を経験した大竹さんにとって、人事での仕事は運命的なものだったのかもしれない。

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自分で計画し、実行した仕事の結果を評価するまでは今の職務をやり遂げたい

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